日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

お互いに道を突き進めば、必然的に交わるであろう同士のご対面

年末

 

年末恒例の頭痛からスタート。年末ドランカー。

しかし、昨日はいい日だ。前々から私はほりぐー社長と亮平社長を繋げたかった。そんな謀があった。お互いに道を突き進めば、必然的に交わるであろう存在。違う感性なれど根底にある共通した感覚は共鳴する。根底の感覚に同一な部分を有していると、対面して10分も経過すれば打ち解ける。

昨日は、まさにそうだったように思う。

 

「周囲の人がうまく行けば自分事の様に嬉しい」、今年は年齢も会ってか人の成功を妬みやそねみを一切持たずに喜べた。その事実は自分の芯となり、原動力となる。

今年はシンプルに嬉しい場面が増幅された。独りで奮闘し立派なことを成し遂げれば、それは嬉しい。ただ、それを共感できる人がいると、もっと嬉しい。そんな風に生きていたい。

 

ただ、それぞれが自立していなければ何でもない。依存ではない共存。群れるのではなく、ある意味必然的に交わる。さじを投げずに日々の作業をこなす。その先にひとつの栄華が存在する。

来年の行動指針を忘れないように、メモメモ。

 

来年すること

・人とたくさん会う

・学問をする

・作品を作り倒す

・本読む

 

とにかく頭イタタタタからの脱出待ち。

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