日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

非日常だけでは構成が崩れていく。また、日常だけでは欠伸がでる。

今年のキーワードは「風化」でした

 

厄介な口内炎も完治し年の瀬を2017も年の瀬を迎えました。2000とんで17、時間が経過するのは早いものです。2000年の時は12歳!なんとまあ、ガンガン名札をつけていたのか。えらい、大きくなってしまった。あの日見た大人の年齢を軽く超越している・・。年が明ければ、なんと平成30年。近未来に生きまくり。

 

それはそうと、だんだんと来年の目標が具体的になってきているのが良かよか。3年前、群馬で考えていたこと。軸は変わらないけど、価値観は変わったかも。価値観がかっちりしたため、ある目標は消え去ってしまったけども。

ハッキリさせずに曖昧にさせておくが吉だけど、気がつけばハッキリしだしているぞと。そんな今年のキーワードは「風化」でした。

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自然と対峙しては削られ残滓を成熟させ、到達点が浮き彫りに。自分が動いているのか。周囲が動いているのか。幹となるにしろ鳥となるにしろ、生涯を謳歌する。非日常だけでは構成が崩れていく。また、日常だけでは欠伸がでる。

 

血に族に還る年末、その目を見る回数もそう多くない。刺激は充足感に変わるが、峠を越えた満ち足りた時間は退屈させる。我儘な生物は動物。性質に責任転嫁。そんなヘンテコな理屈を並び立てられるのもお正月。餅だ。餅。白いお餅に砂糖醤油、もういくつ寝ればいいんだ。数日後。共倒れ。餅だ。餅。