日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

存在、立ち位置 「正解がないのなら、選べる基礎を」

基礎向上

 

衝動、多動、微動だに。動く動かぬ好きずきに。ソイヤソイヤと斜めに走らす。荒くれものと押し並べて、縦横無尽に闊歩する。ダイナミックにリズミカル、ウトウトした瞼もなんのその。雨よフレフレ、婆さんよ。

願ったところで、叶わぬ一手。いつもどこかに隠した名誉。注文受けりゃあ職人技。何処のどいつもほくそ笑み、ひたすら廻るよ地球はさ。無駄を研いでは小刻みに。グルーブ掴むのムジノアナ。唱える念仏、お友だち。

  

リズミカル、重要性、対象物に対してどれくらいの「浮き」を出すか。その濃淡がひとつの個性となる。例えば、音程を箱としたら、箱からはみ出したまま突っ込むのも一興。きっちり、箱に収まり時々中から覗くのもまたしかりと。
一ヶ所で120点を取るのではなく、基本80点出しといて、ここぞという時に満点近く。全体としての空気感の構成。ライブの良し悪しとかもそんなところが大切ではないのかな。ああせい、こうせいでは、味気ないけど構成を絶えず、無意識に身体に馴染ませる。

かぼそさ、傲慢さ、人は何に惹きつけられるのだろうか。正解は感覚を礎とした経験から導きだされるのか。何を選び取るか。取捨選択。個人レベルで考えれば身近なのに。

 

電車内の働きに行く人々、テレビで放映されている軍事ニュースに国の動向、存在。立ち位置。「今はまだ」の繰り返しはさようならへと近づく。

 「正解がないのなら、選べる基礎を」

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