独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

随筆『黄泉、眠る』

黄泉、眠る

 

培われた媒体の中に誹謗中傷は在り、矢面に立たされたあの人は可哀相。咎められるべきかどうかは、結果から論じられ推測は尾ひれをつけて君の耳に届く。

 

あの岬に風は吹き船頭は声を張る。季節はまた巡り何処に帰る。蒼々とした草花が脳裏にちらつく時、機は熟したという。掛け違いのまま進む先頭車輌。指の先に蓄えられた一縷の慈しみ。衰退に憔悴は憐れみの道化師たち。感情の裏を引っ張り返せば、なんと本能的なこと。正当性に託けて宿らせた雑音に、遠方から聞こえる調の取れた静謐な音色。

 

並べ立てた事柄を見返し取り沙汰されない事象は消えた。その消失は周囲を伺う蛇のように心に絡みつく。生きていると言えば大袈裟、死んでしまったと言えば陳腐となる。自我における比較は災難を起こす。滞りなく順序よく、私は至って生活者だ。幸いにして地を踏む。繰り返す何千何百に最上の有難うを問う。

 

愛情の側で打ちひがれ夜をぶらつく。明確な虚構に手綱を預け、鉄格子に寄り掛かり微睡む。人々を運ぶ時代は朽ち果て、詠み人もしらず想像の中で謳う。見聞は浅はかであろうと雌猫が黄泉でまた逢瀬を重ねている。

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