日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

営む。

営む

 

時間が経過するのは自然の営み。

淘汰された後に残るもの、すなわちこれ風化と。

どうやら「風化」には種類があるそうな。

一つ目、物理的風化。岩石の結合がゆるめられ、破壊されていくそうな。

岩石の完全な定義はないそうで、大地を構成するものだと。その岩石の結合がある種の原因によってゆるめられると。

 

他方、化学的風化というものがあるそうな。

化学的風化は水が関係していて、岩石が溶解されていくそうな。岩が水に溶かされるとは、なんだか想像しにくい。確かにイワークに水鉄砲を打ち込むと効果はバツグン。

 

そして、結晶。

顕微鏡を覗くと結晶が広がっているのか。万華鏡なら大昔にのぞいたことはある。規則性を持ち、構想されているのか。よくもまあ、あれほどの秩序を。岩や水やら虫。自然とは奥ゆかしき。ぎゅうぎゅう詰めの日々に自然を介入させる。時間の浪費も和らぐ効果。単位ではなくて、密度。濃厚さ。

 

時間をかけてゆっくりと交わり風化し、大きく化ける。道半ばで消失しようと、それもまた良いのではないか。良い塩梅の執着は技術を生み出し、いきすぎた執着は身を滅ぼす。脈絡もなく「中庸」を信じた過去を掘り返す。ただ、掘り返す。その発想も実は二番煎じだったり。

穏やかな日常に微笑ましいほどの我が物顔を。変化に気づかないほどに。

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