日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「東京の電車」 日常を言葉にするだけで

東京の電車

 

東京にいると異常な電車使用率。

電車がない東京なんて考えられない。椅子の下からボワッと暖かい風が出力される。冬には最高のアウトプットだ。眩いばかりの光と云わずとも、蛍光灯は安定的に車内を照らす。それぞれのテンションの高低差を感じられる電車に、お国柄が見て取れるというのはちとばかりと大袈裟でしょうか。

11月も終わりを告げる今日この頃。ますます、電車の季節。「ここで降りるべきなのか。乗るべきなのか」と電車についてなのか、ギャンブルについてなのか、話を膨らませるパーマかかり気味のおば様。携帯を眺め腕を組んで「見ちゃいますねー」と相槌を打つOL。相方のOLは吊り革に手を掛けて微笑んでいる。足元を見れば靴がたくさん並んでいる。革だったりスニーカーだったり。

 

「結果、可愛いですから」と胸を張る男性。ひと駅づつ進む、いわゆる各駅停車。8両目に乗車しているため車掌の姿は見えない。確認せずともひた走る。ボタン一つで常識を破っちゃうような。それでも、お腹が空けば食事をとる。

 

また1人席を立ち、また1人席に座る。4人組の団体が乗り込んでくる。いつも同じ線路を走り続け乗降りを見届ける電車。「中学高校、大学、ゼミだろ。職場の同期だろ。大学の比較的ほら、親しい友達、あと、近所のスポーツクラブの若者。」とお爺さんが知り合いを並べ立てる。

 

そのお爺さんは「あのね、ほいでね」と軽妙に話を進めている。ベビーカーの子供の純粋無垢な表情は大物を予感させる。これ、高倉健の再来か。

いやはや、これほどまでに老若男女を束ねる代物もない。駅で待ち合わせた二人。一人は「今日も調子よく走ってますね」と呟く。

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