「解釈とハードコアテクノ」についての雑談。
解釈とハードコアテクノ
気がつけば暑かった夏も終わり、冬が来ました。こたつの中に入りウトウトする瞬間の気持ち良さが感じられる季節でございます。色々頑張ってもそういう日常感を大切にしたいよ。
しかし、菊地成孔さんてユーモアのセンスすごい。機知に富んでいる。あの喋りや文章を日常的に出来るとは。凄み。あんまり真面目じゃなさそうな感じが惹きつけられますよね。川端康成さんとか余白や空白に感性を滲ませることこそ、モノホンだ。と・・考えていたけど、菊地成孔さんはその逆を行く。余白を軽妙な言葉やトークに置き換えられる。これまた、稀有だ。文学の影響を受けているであろう書き方、方法論自体を考えてしまう自分とは種類の違う芸当だ。
確か三島由紀夫さんも島田紳助さんも「同じ体験をどう解釈するかが才能ではないのか」というような内容をおっしゃっていた。これは言い得て妙。この体験がもしもこうだったらという想像力も手伝って、エピソードトークは完成するのかもしれない。
平坦な日常に趣向を凝らさずとも、解釈の操作とは。日々、更新される主題についていくのにも必死。全然関係ないけど・・最近、ともに働いている人と話していたら「ドイツのハードコアテクノ」が好きでDJしていましたと・・発覚。眼鏡を掛けてらっしゃて、柔和でハードには見えないぞ。どんな曲をかけるのだ。そもそも、ドイツのハードコアテクノとはどんなものなのか。
「BPMはそんなに早くないですよ!」と軽快に言ってくれるのは素敵だけど。ちょっと、調べてみた。カールコックスさんは世界的に有名で、そしてこれはハードコアテクノではない気がするけど、一定のリズムで降りかかってくる音が心地いい。
なんだか、ダンレボを思い出す。
テクノとかハウスとか心地がいいとずっと踊ってられる。躍動することで体が呼応するよ。