日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

随筆『遥か』

遥か

 

お馴染みの生活に、いつも特殊な芳香がする。落ち着いた日の挙動に正しさを求めたりもする。すごく、実験的で謙虚な人々。温もりを感じるのはいつもそんなところだ。「重視されるべきものが軽視される」その発言にはひとつ誤りが存在する。

 

人間生活をひどく置いてけぼりにしている。誰もひとりにはなりたくないのだから。緻密に絡んでも、いつかは遅延し、取り戻せないほどに歩みは鈍くなり、私は叱責する。
現実感を伴わない描写は、言葉として音として捉える。その向こうには光明が差し、熟成されずとも抗えず。いつもの偏頭痛は部屋の明かりをつければ訪れる。

 

包丁を持つ母親の手に萎びた息は愁いを帯びて、胸に届く。さらには、支えられるほどに中心をなぞり渦を巻く。賑わいを避けた自らに笑えるかどうかを問う。純粋な基準を守り疾走した過去は、追随を許さずカゴの中の鳥となる。与えられた世界にしがみつき羽ばたく。一番の幸福の形を知る。短い距離を全力で駆け抜ける。 

 

その後に増幅されてしまう術や目的地を忘れかけて。外は寒く頬に風が当たる。いつも、コタツの中で足を伸ばし眠ってしまった少年期を思い出す瞬間である。それは、詩とも呼べないような言葉の繋がりを握りしめた日でもある。

 

確定を知らぬからこそ、疑える。笑える。悲しめる。刹那的な人生を憧憬し幾人が消えてしまったのだろうか。願わくば全てが健やかに、遥か彼方から君が迎えに来やしないだろうか。妄想の内は自らを人格として陥れる。そう、誰かがドアをノックした。

f:id:sasaworks1990:20171116232948p:plain