独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

大人になった僕は気になる観点が変わってきた。

気になる観点が変わってきた

 

11月、もういくつ寝ると、お正月。

一番安心できる季節がやってきた。しばらく地元にも帰ってないし、久しぶりに家族や友達の顔を見れるとなるとホクホクしますね。東京で生活していることが沁みる時期です。

 

損得などなく腐れ縁は腐れ縁。腐っても縁。

日常を刻めばきざむほど、相対的に経験はつもり、1の時の流れが0.5とか減少していく。おとなやこどもという区別は言葉の認識上だけど、そういう意味では、毎日を噛み締めにくくなっているのかなと。ただ、幼き頃は「噛み締める」という行為を知らなんだ。

  

昔、母親が年をとるとシンプルに記憶力が衰えると言っていた。だから言語を習得するなら若い方がいいと。半分賛成で半分反対だ。確かに、記憶しようとするとまっすぐ覚えられない。記憶力が落ちたというより、経験とかで頭に情報が蓄積されているがため、記憶する部分までの経路が複雑になっていて、たどり着かないという感覚。

 

最近、気になる観点が顕著に変わってきた。思考を深めたがりだけど、自然と変わってきた。言葉の機微や曖昧性より「概念」そのもの。

そもそも、それは何か。世の中、仮定されたものばかりではないかと。道具として都合がいいから仮定されるのか。なぜ、仮定されるのか。もちろん、ひとつは人が生きやすいように、生存本能から仮定するとは思います。

 

あとやっぱり、「数」が何より気になる。

掛け算とはどういうことなんだ。分配法則やなんとか法則がなんたらかんたらとは、読んだけどなんなんだ。マイナスは引くことを足すことな訳なのかよ!

いつもとは逆から見ると、世界は違う。地面が宙に浮いていてもおかしくない。

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