日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「中身に意味はない。いかにそのものとして全うするか」 その言葉を吐いたまでのプロセスを・・。

言葉の断片を拾う

 

危ない、ハロウィンという言葉を一度も発さないまま今年の終わりを迎えそうになっていた。先週末、何も仮装せず渋谷に行ってみた。傘のせめぎ合い。雨降ってたからみんな開いて、ぶつかりげいこでごわす。

左を見れば、ポリスのコスプレ。右を見れば、パンバイア。この世は宝島。

むっちゃ高めのテンションの満員電車に乗っている気持ち。その気持ちをそれぞれにつゆしらず。

 

うーむ、しかし、何事もプロレベルの腕になるには、一朝一夜ではなれないのね。この情報社会、できる人をすぐ目の当たりにできる。なんだかそのスピード感のまま自分もできるのではないかと勘違い。

 

ピアノの鍵盤を数えてみて、「そんなに数ない!5本の指でどこかしらを弾けばいいのだろう。それを組み合わせるだけだ!!!」と強気に考えてみても、練習していないのでまあ弾けないんです。ただ、できる気がしたいときは全部の数を考えて、「そんなにパターンないやろ!?」と思ってみる。何事も。

 

そこから案外難しいことも簡単と考えられる。ただ「口で言うは易し」現象に陥る確率もぐんぐんと伸びます。笑

為せば成るけど、結局、為さねばならぬ。最近特に脈絡がない文章になっていますが、日記は尊いです。軸を無視しても日を記せば。曲がりくねってない文章は此の世にたくさんあるから、逆に・・\(^-^ )筆記の先の領域。

 

悲観と楽観の往復ビンタ。成し遂げるとはなんぞや。種田山頭火は「無理をするな、素直に生きれば人は人として十分生きていける」と言っていた。でも、ニーチェは「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」と言っていた。笹谷創は「中身に意味はない。いかにそのものとして全うするか」と言ってみた。

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