日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「最近、気になるのは宙に浮いているということ」 最近の雑談です。

最近の雑談

 

先週の木曜日から怒涛の日々だった。

呑み、踊り、しゃべり、眠り。学び。ひたすらこれの繰り返しだった。音楽を中心として、いろんなコミュニティに行ってみた。人に会ったら、胸が熱くなる話もたくさんしていただいた。

最近、なんだか良い感じに声をかけられることが多い。嬉しい。がんばろ。

なんかやっと今日、落ち着いた感じだ。人様の行動は尊重すれども依存しないこと。

どのみち、マイペースを良い方向に転がす。

  

あくまで飽くなき自然体に。そして、最近また読書量を増やした。隙間イコール読書でやっていたはずが、気がつけばそうでもなくなっていた。なので、また隙間イコール読書生活に没入する。

  

文学に没頭していたはずが、文学への興味があの頃より薄れるとは。なんだろう。

今は文学より、なんかもっぱら科学とか数学とかコンピュータとかそういうのが気になる。科学とかに移りつつあるなぁーとは感じていたけど、最近それが激しい。

しかしながら、「客観的に収斂せよ」と標榜していて、それに近づくための行動と捉えている。それはいつも満ちずに獣道だ。

 

この「客観」というのもとんでもないシロモノ。人間の意識の上でしか成り立たないとか、当たり前だけど、主観の上にしかないとか。不動と考えていた「客観」さえも世界の認識の仕方で音を立てて崩れていく。認識はいつもこねくり回してくる。なんという、お友達だ。

こういうのは純粋な好奇心と考えているが「理解されたいがため」が含まれているのだろうか。無意識とは意識できない領域なのだからわからないものだ。染み付いたもの、無意識、ときに恐ろしいことは胸に刻みつつ。

そして、最近気になっているのは「海底ケーブル」と「電波」、あとは宙に浮いているということ。

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