独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「論理学ブーム到来!!」 言葉ゆえに思考。

論理学のお勉強

 

最近、論理学を勉強し始めた。

学生のごとく「ここに入る接続詞は何でしょうか」という問題を解いている。論理学を勉強すると「なるほど」ポイントが沢山ある。このブログは自由奔放に書き綴りまくっているので、文と文の関係を全然気にしていないけど。

 

しかし、論理学となると(当たり前だけど)文と文の関係をこれでもかと気にする。

まだちょっとしか問題解いていないけど「結局、曖昧さの判断に委ねられる」と感じた。正しい接続詞を選ぶ問題でも主張の強弱により接続詞が変わる問題が出た。

 

主張の強弱って・・「曖昧性、高っ!!」と思ってしまった。それでも、いいお勉強になります。主張を見抜こうとする、接続詞を意識するだけでも、読んでいる文章が変わってくる。これは、帰結だ!転換なのか・・。付加だ!!などと文と文の関係をパターン化しておき、そこに当てはめる読み方をしていれば論理的に強くなりそう。

 

というのが、論理学を読んでいるときの感想。

これを学んで何が変わるのか!と聞かれれば、わからない!!しかし、なんとなく、直感的に導かれよう。よく考えるのがただ楽しいってこと。ある種の快楽的な。

 

この論理学ブームは自分の中でまだ続きそう。

一人の人物が考えるには限界がある。いくら「柔軟に!」と思っても、どこかで強い思い込みがあるのではないかと。強制的に視野を変えられるのは「言語」にヒントがあるように思う。一番は日本語以外の言語を習得すること。外国に住んで英語で考えるようになると、(習慣も含め)違う視野が出てきそう。

 

それとは、ちょっと違うけど、論理学も体系立っているという意味では、普段の「考える」以外を教えてくれそう。そんな恩恵があるような直感が今のところ働いています。

なにゆえ、この記事、接続詞むちゃくちゃです!!\(^-^ )

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