独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

傷つきやすいとは、自己中心的だ。

本音

 

いやはや、いやはや、人生は学ぶことが多い。

自分は本当に「クセがすごい」と思い知らされる出来事が重なっています。周囲にすごく迷惑かけているんだろうなと。そして、傷つきやすいという性質はすごく自己中心的だと思う。

言ってしまえばかまってちゃん。子ども。それを理論として理解はできるねん。でも、心がついてこないというか、感情だけはどうしようもないんだなと。

 

今日は、音楽を聴いた。救われた。ここ2,3日、ブログを書く気力もないぐらい落ちてた。自分がやりたいことは確実に進んでいる。だから何の問題もないのに。それも理解できる。でも、心が追っつかない。

  

この心が追っつかないというのは、自分のことしか考えられていない証拠だ。

周りの人は、自分のクセをことごとく指摘してくれる。めっちゃ、痛い。でも、ありがたい。

 

成長するための基本、「言われて嫌なことから逃げない」という感じです。向き合うのは辛いです。「動きたくない、何もしたくない」正直、そんな感情に襲われます。それでも、向き合ってみる。闇は光になる。いつだってそう。

 

ある意味人生の教訓的なところです。人様の中に生きているとリアルです。こうやって、気力をくれるのはやっぱり人だ。心の拠り所でもある。傷つきやすいというのも、考えものですが、どうしようもないところもあるんです。

 

周囲の意見を聞かなくなった時、自分の中で本当の死が待っている気がした。いちいち、大げさと思われるかもしれないけど、すこぶる本音だ。

 

気づかせてくれるという本当の意味での優しさを持った周囲を誇りたい。だからこそ、尽くしたい。もちろん、自分の目標を目指して頑張る。でも、教えてくれた人の目標も叶えたい。てんで欲張り。

 

人生を全うする。

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