独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「よろしく、さっちゃん!!」結婚して1年の月日が流れました。そして、おばあちゃんから手紙が届きました。

結婚1年

 

海外旅行に行った時の機内で「Beer」とキャビンアテンダントさんに言ったら、牛乳が出てきた!!と、嫁が居酒屋で言っていました。

  

そう、今日は結婚1年記念日でした。最近は、私が疲れているせいか夫としての職務を放棄気味です。笑

 

夫婦は持ちつ持たれつですね。人との生活は「相手をどれだけ許せるか」に尽きると思います。「相手をどれだけ許せるか」というのは、愛情ですね。「興味が湧かないことに関しては振り向かなさすぎるやろ!」という性格を理解してくれて有難いです。

 

年をとると、自分に合わないことは無理にしないようになってくると思うんです。それは、逆に言うとクセが強くなるんだろう。昔は父親を見て「矛盾っ!!!!!!」と思っていたけど、だんだんと理解できる。生まれた子供はそれを見て「矛盾っ!!!!」と思うんだろう。まあ、、たくましく育つはず。笑

 

巡りめぐる。とにかく・・よろしく、さっちゃんというお話です。 

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おばあちゃんからの手紙

 

今日はおばあちゃんとから手紙が届きました。なにやら我が埼玉の美術館で「駒井哲郎」展がやっていると。画に対して、造詣が一切ない私は恥ずかしながら駒井哲郎さんを知らなんだ。

 

駒井さんは銅版画の詩人と謳われていたそうな。銅版画の詩人?!

ふむふむ、現実と夢の狭間を漂う詩的な作風だったそうな。少年の頃から銅版画に憧れていて・・へい、お待ち!

 

銅版画とはなんや!!

銅板に絵を彫ったものだそうな。銅の板に絵を彫るのか。つまり彫刻の一種?

 

いろいろ、技法がありそう。これは深そうなにおいがします。

なにやらネットサーフィンしていたら、銅版画は記録としての要素も持つらしい。というか考えれば、絵は記録としての要素は必然的にあるもんね。感性を一極集中し、絵にするのも感性の記録だし、社会の習わしや状態を絵にするのもごりごり記録だし。

 

考えれば、音楽もそうか。それは言葉にできないものの具現化ですもんね。ある意味、芸術は方法論でもあるわけでごわすね。よし、嫁を連れて美術展に足を運ぼう\(^-^ )

けっきょく、よろしく、さっちゃんというお話。

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