独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「戦っている人同士は、一見仲むつまじそうには見えない」 近所で飲んで思ったこと。

強いお酒を飲みました

 

今日は今日とて、近所で飲んでおりました。

いいですね。近所にお酒飲めて、音楽が聴けるところがあって。ああ、気持ちがいい。

電車に乗らずとも、気持ちがいい。

 

とにかく、気持ちがいい。気持ちがいいと言い過ぎると、気持ちが悪いと言われるかもしれないが気持ちがいい。やっぱり、ロックでキュッといかないと。

 

ああ、ベロベロですが・・近所だから気にせずにすむ。今日は、普段、赤坂など都会で会うはずの人たち(細貝さんなど)が家の近くに来ていた。多分、温度差はあっただろうけど、なんだか都会で会う人が家の近所に来ていると嬉しいです。

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にしむさんとこんなにしゃべったのは初めてかも。サザエさん症候群と言われている日曜日を、「現実と浮遊の狭間で気になる」というようなことをおっしゃていた。研究所だなと思った。

 

「誰しもが気にならないことを取り上げる」というのも一つの作品でブランドだ。ああ、ついつい、飲み過ぎてしまった。しかし、もはや、確信めいたところはあります。ストレートでお酒がぶ飲みしてから行ったし(´Д` )つ最近、よく飲む。でも、飲むだけじゃよくないと思う。やることをやりきったら、あとは飲むという感じですね。ご褒美的なものです。日常は、どれだけやることをやり切るか。あえて、寝ない、食べない(ほどほどに・・)

 

「寝すぎる。食べ過ぎる」は逆に不健康じゃないかと思うわけです。働きざかりな年齢だし、今やりきらなきゃ、いつやりきるのだ。丸く収まるにはまだ早いと思うわけです。この年齢だからこその棘は無くしたくない。適していない達観は、魅力を失うだけ。「戦っている人同士は、一見仲むつまじそうには見えない」というのが持論だ。

 

それは、村上龍がやっていた番組Ryu's Barで思った。仲がいい悪いを超えた境地に色々とあると思う。偉人の若い頃を見ても、だいたい気を張っている。ある意味、誰でも通る道。通過儀礼(*_*)