随筆『人間であるとともに動物やからね』
「人間であるとともに動物やからね」けんしろうはそう呟いた。下北沢にある喫茶店、店員のエプロンはやたらと古ぼけている。待ち合わせをしたのは数十分前だ。会話の緒は見つけるものではない。いつも知っているのに、だれとも会えない。
マグカップに口をつけ、珈琲を喉に通す。仕事帰りのせいかインスタントコーヒーを味わい深く飲んでいる気分だ。快活な夜の下北沢とは打って変わって、この喫茶店は静寂を保つ。
承認欲求は撃ち抜かれた本能である。幾人の背中を押し、あるいは、崖から落とす。
コーヒーには甘味も濃厚さもない。薄く引き伸ばされた心象によく届く。気怠さは二人の間に無言を貫く。
けんしろうはおもむろに席を立つ。ポケットから小銭を出し「ほな、おおきに」と言う。彼との会話は多くはない。ただ、「投げるのではなく紡ぐ」真理を伝える人の言葉は重く丁寧だ。
手持ち無沙汰に時間は過ぎ、立ち所を失い喫茶店を出る。いつも通りと何ら変わらない。階段を上がった先には、ビレッジバンガードが屹立する。なんとなく焼きスルメを握りレジへ向かう。
店員は変われどその本質は変わらない。次の街でも、前の街でも同じ殻に対峙する。だからといって、決して無機質ではない。ただ距離は変化に比例しないだけのようだ。
まるで回廊を徘徊しているような心、竹槍でずっと突かれているような痛みを抱え歩く。それでも、人間は動物だ。華やかな場に向かう私はけんしろうの言葉を握りしめる。