独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

東京に生きとし生けるものとして

東京に生きとし生けるものとして

 

今日は太陽が雲に隠れています。雲の後ろで何しとん。

9月も10日を迎えようとしている。読書の秋、芸術の秋、食の秋。いわゆる秋ですね。

 

秋とは関係なく、ふと思いましたが、インターネットで情報を得るのって難しい。調べたいことすぐ調べられるけど、何だか断片的でムズムズします。即決的な意味ではいいけど、きちんとまとめられた本を読みたくなります。その問題への解決に至るまでの早さは半端じゃないけども(´Д` )

 

「一つのやることに対してどれだけのスピード感でいくのか」最近、そんなことを考えている。スピード感があった方が確実に量をこなせる。つまり、その勢いのままに進める・・。しかし、タスクすら一つずつ味わっていくのも悪くないぞよ。さあ、どうする・・。中間を標榜していくのか。東京に生きとし生けるものとして。

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早いと大雑把に終わってしまうことも多いんですね。丁寧に行っても結局そんなに綺麗にならないけど。この「量」と「質」の関係ってどうなっているのでしょうか。早いと量をこなせるが質が良くないのか。いやはや、そんなことはないのか。スピード出したからといって、質が落ちることはないのか。圧倒的な量が質を高めるのか。私はとかく、「具体」を学ぶのだ。(解決!)東京に生きとし生けるものとして。

 

そんなことを考えてたら、今日は集中して本が読めた。ぼっーとしていると話がわからないまま200ページぐらい進んでいることがありますが。違うこと考えている現象、煩悩さんに対して、文字を読むという強行手段により集中力を高める。使役スタイル。

 

むち打ち働け。時期に乾風。自分でお尻叩くスタイル。

 

目標、目的、夢、達成。

うん、なんか4つ並べるとおぞましい。笑