独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「僕らはみんな生きている。生きているから歌うんだ」 もはや日記です。

今は、一体何ページ目?

 

部屋を暗くしてお香を焚いて、尾崎豊のアルバムを聞いて文字を綴る。

すると、神聖な気持ちになる。何も絶景の地に行かなくとも創意工夫で十二分にトリップできる。後はお酒を飲めば、立派な厨二病の完成だ。

 

今日も私は働きに出る。電車を乗り継ぎ都心へ向かう。静かな電車の中、寝不足だと座っている人が羨ましくなったりもする。ヘトヘトと感じるまでがむしゃらに働く。うん、そんなに悪くない。

 

会社というのはある意味で俳優の集まりだ。立場と関係を重んじながら、最高の劇を作っていく。目的の一致が生まれれば、相当な力だ。お金を対価として働く。ただ、お金の主従関係に真の目的の一致はあるのだろうか・・。

 

何ともお尻の青い疑問が頭に浮かぶ。全く嫌悪しているわけでもなく、逆にその問いをあまりしてこなかったという事実。

優しいだけじゃ何も刺さらないから、自らの殻を破ろうとする。そこには、まだまだ成長できるという確信めいたものがある。そうではなくとも、その選択に後悔はせず。

 

惰性の先には達成感はなく、中途半端な結果とよく喋るお口のみだ。

詩を書く為に留めるのか。自然に留まるから詩を書くのか。その両方がいわゆるタレントを支える。

タレント性の喪失。コンプレックスへの墓参り。

 

今日は、焼きそばと納豆を混ぜて食べた。8対2で焼きそばが勝っていた。あの納豆のネバネバも焼きそばのソース三昧には歯が立たないみたい。さて、Amazonで哲学書を大量購入しよう。目的からの逸脱に光を見る。遠回り、近道。

誰も歩まない道だけど、誰かと似たような道。結局、同志と歩む道。

 

「僕らはみんな生きている。生きているから歌うんだ。」

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「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」

10月7日に再びホームパーティー型イベントやります。奮ってご参加くだされ(´Д` )つ

 

P.S

madarachan?写真いただきました!!!(*_*)ええ写真、ありがとうございます。