独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「揺らぎ」 情感を慈む。

揺らぎ

 

生き方は何万通り。満たされない感覚は誰がため。

今の枠を全力で進めば、脈はドクドクと打つ。見たことのない杭にだって人はなれる。価値観、感性、野蛮、猥雑、抽象、何を持って何処へひた走る。普段は見つけられない自然はごく近くを寝そべっているはずなのに。

 

目的の地点にたどり着けば、また、次の地点に移動している。決して影を踏ませてもらえないんだ。行く末で残像が頭にこびりついて、消化不良を起こす。一線を画すには、飛び込み溶け込み、居心地よく過ごすのだ。辟易と妥協が手を繋いでいるなら、決して沸騰はしない。その逆も然り。

 

情感を文字に起こした。起こした文字を疑った。時代と混ぜこぜになっている。

自分自身に集中すれば、縁は全て繋がっていく。「そう思えばその通り、そう思わなければそうじゃない」、その境地をどう超えるのだろう。客観的事実はどうやって発展するのか。

 

すり寄せた愛想は響きやしない。「人間らしく、人間らしく」そう呟く。

コンビニで買ったパスタを電子レンジで温め、オニオンスープを飲み干す。

「温もりがほしい」と素直に言えばいいところなのに御託を並べ立てる。物書き気質とでも呼んでしまおう。ところで、運動した疲れが程よい睡眠を誘う。スピーカーからはジェイコブ・ミラーのアルバムが流れっぱなしだ。音楽を止めるのも躊躇われる。

 

明日になれば、明日の朝が来る。繰り返しの似たような日常に見つける興奮と戸惑い。過去を振り返りたくなる心情と未来を躍動するための挙措を大切に。

今日は、胸に幾分かのしこりが残っていた。感情の揺れを記した日。

そんな日もあろうことかと。

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