ピーマンにアスパラ、エリンギ・・素材をそのまま食べるほど美味しいことはなかった。
素材の美味しさを知って
食へのこだわりなど、皆無だった。
それなのに、素材の有り難みを知った時、皆無ではなくなった。
ピーマン、アスパラ、白子、トマト、レタス、それらに塩をかける、または焼く行為のみで挑み続ける。美味い。もう、それだけで十分だ。他に理由や調理などいらない。どこの農家の方が作ったのか不鮮明だが、生産者の顔がぼんやりと浮かぶ。
素材を味わう楽しさはまず、「これがそのものの味だ」と思えること。ピーマンにアスパラ、エリンギ、みんな違ってみんないい。頬に染み込んでくる味が違う。
「料理なんて眉唾ものだ」と過激なことをほざくつもりはないですが、やっぱり素材です。後は思い込み。素材そのものを食べているのだからフレッシュだ。つまり、健康だ。その思い込みが素材そのものを食べる素晴らしさの一つです。曲解も甚だしい短絡的な考えが止まりません。
「素材、素材」と声高らかに主張しておりますが、間違いなく塩には頼ります。
塩は美味い。まだ素材素人の私は、苦味や土臭さを存分に楽しめていないようですが、食へのこだわりは発芽したので良しです。
そして、最近、お腹いっぱい食べることへ抵抗があります。「ご飯食べた後、やることやるぞ!!!」とやる気スイッチが燃え盛っていても、お腹がいっぱいになれば、ブドウ糖が体を駆け巡るせいか「意志の問題ちゃうちゃう。一休み、一休み」と一休さんになります。
腹5.8分目以下でないと働けない。意志が薄弱と考えたが、性質が意志を超越しているとも考えられる。性質というより、生理や原理といった方が適切かも。
「素材」とは如何様に尊いものなのだろうか。何事もたどってみれば、素材とぶつかる。粗悪にぶつかり稽古している時間もなくて。
さきほど、つけ麺を腹7.8分目まで食したので、すこぶる眠たいのです。素材にもハマっているけど、最近「\(^-^ )」←この顔文字にはまりそうな予感がしています。
おやすみなさいませ。