独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

随筆『街への問い合わせ』

 

街への問い合わせ

 

街を何気なく見つめては、邪気のない心には魂が宿る。天気は下り坂で今にも入道雲が出てきそうだ。自然と足を早めるその側には、蝉の抜け殻が落ちている。

 

季節の憂いを知り、一斉に新しい生命へと手を伸ばす。道を囲う草花も、どこか海を渡った遠い国の祝席に参加しているようだ。まっすぐとどこまでも続く道だって鳴り止まない祝砲を想像させる。急ぎ足は木々から生えている深々とした苔を無視し、景色を笑う。

  

闊達とした字で書かれた古めかしい表札にも、職人の朴訥とした気持ちが現れる。人工的に作り上げられたカビの生えかかった花壇も、咳払いをせず毎日のように過ごしている。季節は花を虚ろわせ、また、喜ばせる。

 

交通量の多い太った道路も夜になれば鳴りを潜める。闇が躍動する時間に、人々は眠る。瞼の裏と橙色の街灯が混じりあうことは滅多にない。しかし、夏の祭りの日は特別らしい。電信柱に掲げられたいくつもの赤提灯は街全体を鼓舞する。龍が舞い踊り、夫人はやはり眠る。

そうして、街は少しづつ形らしくなっていく。朝、子供たちは韋駄天のように走り回る。踏みならされた地は何処へと継承する。プラットホームの人だかり、警笛を鳴らし過ぎさる急行列車。

 

1日の始まりはどこにでもある。それはありふれていて、それに包まれている。少し足を止めてみると見えないものがぼやけ出し、聞こえない音が振動を始める。

 

その角を少し過ぎれば、また別の軌跡と出会う。

見られない街なんて此の世にはないらしい。

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