独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

知ることが遊びになれば、そりゃあやっぱ楽しい。好きなことを追い続ける。

知ることが遊びになれば極楽説

 

知ることが楽しくなれば、極楽です。
知ることが一人遊びになれば、これ以上のことはないはず。


超ランダムにCDを漁っては、耳に入れるスタイルだったけど、スタイル変更。そのアーティストを調べて、だいたいいつに活躍していたかとかどこの国かとかを知ってから聞く。

 
まっさらな状態で聴いた方が純粋に音として楽しめているのじゃないか説もわかります。しかしながら、調べてから聴いた方がテンション上がります。なんでだろう。情報がゼロだと想像することすらままならないけど、少しでも情報があると想像を膨らませられるのか。何万回も似たようなことをブログで言っている気もしますが、情報は素材と思う。

 

どんな音楽に影響受けているかとか考えていくと、音楽に対する造詣が深くなりそう。音楽を聴くのも好きだけど、負けじとCDを「集める」のも好きだ。完全なる自己満足だけど、なんか集めるのって楽しい。

 

似たような音楽はたくさんあるが、同じようでも同じモノはない。細かいところの違いを知ることで視野も広がるのではないかと。細かいところを数値化し、100 と仮定します。


100 に目が向く、それは100 の視野を広げられる可能性を持つ。50にしか目がいかないなら、50 の視野しか広がらない。深いところに目を向けるには柔軟性がいる。自らの考えに固執してては細かさに目が向かないように思う。レノア

 

分析は細分化、もしくはメタ認知。創造は組み合わせの産物。言わずもがなのでんでん太鼓。とにかく、ジャンルごとに掘っていくの楽しそう。好きなことを追い続けるといつかグワッとなる日が来るはず。それが最良で本質的な方法だと思います。

 

お盆やら正月を忘れるぐらいに、無我夢中に。

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