独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

思想は何処にある?

思想は何処にある

 

恥ずかしながら、ビート・ジェネレーションというものを知らなんだでした。

 

第二次世界大戦後に大きな影響を与えた思想活動らしく、ポエトリーの走りなんだとか。すごく興味深い。機械的なことに支配されていく時代、文明社会を否定し人間性の解放を叫んだのだとか。

 

イギリスのスキンヘッズもそうだけど、人間性の解放にはやたらと酒やらガンジャが付いてくるのね。文明への極論とも言える反対、思想とは。

 

思想に走りすぎて、前が見えなくなる。若者らしく、勢いのままに。そんな時は、やはり、井上陽水の傘がないが染み入る。

 

「都会では自殺する若者が増えている」「行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ」こんなに本質をついている歌詞は他にあるのだろうか。

思想とそれが生まれた故に、出てきた思想。それは対極であり同一的な部分もある。

 

思想とは体から滲み出るもの。思想とは至極、人間的なもの。思想とは形が定まっていないもの。ある意味では文明を前提として、思想は育まれるのか。思想とは生活なのか。ブルースなのか。

 

いくら本を積めどもつかめない領域はどこにある。しかし、それでも本は基調となりぬる。最近、現実が忙しく本に没頭できていない。本は頭を使うから行動的ではないと思われるかもしれない。しかし、思想を取り入れるほど行動的なことはない。

 

それはいくつになっても。言葉へとダイブする感覚は守りたい。それが本質であり、すべての根幹を成している気もする。

どういった運動であり、思想か。哲学は求道しないものなのか。自然に触れれば哲学は得られるのか。自然自体が哲学であるのか。

さまざまな思想家を色々と読み直そう。歴史があってこその、解釈としての、それが思想の正体ではないのだろうか。

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