独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

なんでもない1日の帰り途をふりかえり、生身の瞬間を感得しよう。

昔の人とは生身で会えない

 

岡倉天心って岡倉覚三という本名らしい。美術学校作ったという記憶が微かにあります。岡倉天心さんはプレイヤー側と思いきや、評論家の側なのね(*_*)

 

初知り。岡倉天心スマートフォンを渡したらどんな反応をするのだろう。それは、想像の産物でひと昔前の人とは本や情報、資料でしか会えない。生身ということにどれだけの意味が込められているのだろう。

 

今の人とは生身で会える

 

今、生きている人は生身で会える。言葉を交わし情を心に習わす。生身の対話と平面の文字との会話。「出会い」に変わりなく、人とまぐわう。コミニュケーションは一挙手一投足に注目するとぎこちなくなるけど、だからこその感得もあり得る。

 

愛嬌いっぱいにステージへと向かうあの子。お惚けた発言を連発するあの子。特色は違えども、同じ血が通う。

 

仕事帰りにたまたま嫁と時間が合い家に帰る。夜も深まり終電近く、嫁は「家に帰るまでが遠足。帰るまで気を抜いたらいかん」と微笑む。1日の疲れがとれる。言葉を使用した会話には不思議な力が宿る。

 

続けて、自動販売機の前に立ち止まり、120円のオロナミンCを購入。蓋に手を掛けシュッパッと音を鳴らし瓶の底を覗く。不安定に揺れる液体を喉に流し込む。乾いた喉に至福の瞬間が訪れる。

 

電車を乗り継げば、もうすぐ家だ。灯りのない家に帰り、家庭を作る。蝉も鳴き止みひっそりとした道の右端を歩く。弛まずに前進している。鍵穴に鍵を差し込み、ドアを開ける。

嗚呼、今日も生きた。

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