独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「マイルス・デイビスと東山魁夷」 スターと芸術家は思想の伝え方が違う。

マイルス・デイビス東山魁夷さん

 

マイルス・デイビスは偉大なジャズトランペット奏者だ。

三宅洋平さんがあるライブのMCで「マイルス・デイビスを作ったのはマイルス・デイビスだけではない。マイルス・デイビスをやばいと伝えた人たちも含めてだ。」というようなことを言っていた。なんか、このMCがすごく心地いい。スターを紐解くと多くの伝えていった人たちがいる。

 

ここにロマンチックをやたらと感じる。どれだけの思考も伝承の枠組みからは抜け出せない。むしろ、伝承を大切に自らを切り開いていくものだ。その一方で東山魁夷は、スケッチ旅行に独りで旅に出る。自然に魅せられ多くの風景画を残している。芸術は独りで対峙し、スターは外向きと構築する。

 

面白い対比だ。

 

東山魁夷さんは家族の不幸にあったりと大変な人生。何か川端康成さんもそうだけど小説家とか画家には周囲が亡くなったりが多い。だからなにというわけではないけど、何だか芸術に通ずるのかな。

 

そういうのもあってかなかってか、魁夷さんの作品は心温まる。

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日本画などあまり詳しくもないが、魁夷さんの作品から優しさを感じ取ることはできる。どの風景画もやはり優しい。そもそも雄大な自然は人間にとって優しいのか、厳しいのか。厳しいからこそ、優しいということも言えるので、非常に難しいところではありますが(´Д` )

細かいけど、細すぎず。繊細さを知り尽くしたが故の横着。それが、風景画に生きてきている。

 

絵画に対する知識が皆無と言ってはいいですが、視覚を満たす絵画には心動かされる。聴覚を有する音楽とはまた違った趣だ。思想は歌詞やライブにでる。そして、思想は絵に出る。 

むしろ、思想が滲み出した作品が好きだ。思想の滲み出し。

マイルス・デイビス東山魁夷さんも思想が滲み出している。垂れるように溢れるように出ているのか、放出されているのかの違いはあれど、思想的だ。

 

思想は実装として、人生を育む。

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