独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

動画の吸引力に人は惹きつけられる!? 批判や讃称の対象がことの始まり。

動画コンテンツ最強説

 

視覚の吸引力はとてつもないものだ。

Youtuberという職業もできて個人で動画メディアを持てる時代だ。いつも文字を起こし、文字で伝えているけど、やはり動画の方がわかりやすい。気がつけばテレビをだらだら見ているのも、動画の吸引力を示す。

 

ブランディングを考えるとき(特に個人?)、動画は必然となってくるように思う。何がなんでも出せばいいというものでもないけど、むむ、人を惹きつけるのだなと。

映像とかに凝ると別かもしれないが、カメラさえあれば動画を撮れるわけだし、Instagramをみんなが始めるわけだし、やっぱり動画ってすごい。

 

木曜日、ふつふつと「動画ってすごい」と考えていた。そうなると、やはり不特定多数に対して発信できるネットワークはものすごい。至極当たり前だけど、その人との距離を超えるもの。

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そしてi phone、「画面のボタンを押すと、曲が流れてくる」とかもう大革命。そして、「便利」との付き合い方は難しい。

 

人間の欲求を満たすがために生まれしものに、素直に踊るのか。答えはここにあらずと自動化していく世界にビンタをかますのか。すこぶる判断が難しい状況です。

流れに身を任すのも有りかと思われます。どんどんと機械に吸い込まれ、積み上げています。使役の関係性がわからなくなってくる。もしかして、わからなくてもいいのか。AIも一つの人類とみなすのか。

 

ちなみに、パソコンの画面が一瞬真っ黒になったときの絶望感は、ドラクエのデータが全部消えたときと似ていた。積み上げてきたものが瞬時に壊される。機械の中に積み上げているというのも、なかなかのカルマですね。バックアップ絶対主義です。

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「動画すごい」というところから、なんか話が多岐に渡ってきましたが動画すごいと思うわけです。YouTubeとか昔の映像が見れたりして楽しい。こんなん最高です。

 

顔を覚えてもらうというのは、人間生活、大切です。

印象を残す。うまくいかないと、ほうぼうの体で退散することとなる。そして、復活する。批判や讃称の対象がことの始まりなのかも。始まりがなければ、道はなく終わりが来ない。最期をどう迎えるかと考えるほどロマンチストではなくとも、始まっていたい。