独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「オタクのすすめ」 おたく心の上に花は咲く。

圧倒的な量を誇るおたく

 

個人的には何かしらのおたくであった方がいいと思う。「質」の最低基準は圧倒的な量がだと思う。単純に量だけではないけど、音楽が好きな人がCD2万枚持っているのと、100枚持っているのは違う。

 

どんな聴き方とかもあるだろうけど、圧倒的な量というのは、本当に好きじゃないと達成できない気がする。別にCDの枚数だけではなく、練習にしろそうかもしれない。毎日、毎日、ひたすら続ける、目的のためでも、どこかしらに「好き」という気持ちがあるのではないか。 

 

そして、追求心があるのとないのとでは、世界の広がり方が全く違う。追求とは掘ることで、時たま地上に顔を出せなくなる。でも、掘ったところは埋まらない。追求がないと同じところをぐるぐるぐるぐる回る。どっちがいいとかはないけど、圧倒的な量に支えられていると捉え方がそもそも変わってくる。感覚的天才はどこかにいるだろうけど、圧倒的な量は非凡な才能を凌駕する。ウサギとカメの話的な。

 

何かのおたくというのは、けたたましく強い。評価の対象、批判の的になるようなところまでいくと、それはもう立派なブランドだ。その上で、人様の前に出るなら、確固たる何かがないと・・。

 

お笑い芸人は、お笑いで真っ向勝負する。音楽人は音楽で真っ向勝負しなきゃ。へらへらと自分を納得させて、愛想で音楽をしても仕方がない。と、、非常に自分に言いたい。確信的な自信が持てていないというのが、ありありと自分でわかる。

 

様々なものをブレンドさせるのは素晴らしい。本質を抽出し当てはめるのも、その人にしかだせない色がでる。ただ、音楽は音楽、文章は文章、写真は写真、その黄金比がくずれると人の心は打てない。

 

勝手な決意表明みたいで固くなりましたが、自らの土台はおたく心。好きの延長線上がプロフェッショナル。人生使って、証明しよう。花咲かす。

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