独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

その人の思考や感受に近づくには、物語を読むのではなく文体を喰らう。

本のお話

 

平易な文体の小説を読んだ時、感情が二手に分かれる。

「まだ、こんなにもページがあるのか・・。」と「面白い〜!ゾクッとするう」です。

武者小路実篤さんの本を読んだ時は、完全に後者でした。この差はなんなんだろうと自問してみます。

  

すると、「癖があるかないか」という点に寄りかかってきます。その癖も自分好みの癖だとなお嬉しいのです。その人物が溢れ出てくる感じが良いんです。ある意味、超技巧派ではなくヘタウマが好きなのかもしれません。

 

しかし、そのヘタウマは決してヘタウマとは思わない。ただ超絶技巧との距離があるだけ。そして、距離といっても上下の優劣ではありません。

 

呂布カルマさんのラインを借りていうと、「ライムの種類が違う」ということです。

その中で「隙間」がキーワードになってきます。音楽も小説も隙間のないものは、はまりきれないのです。平易な文章であろうと「奥が見えない」と思えたら、もう、ぞっこんです。

 

最近、谷崎潤一郎さんの本を読んでいるのですが、、、グッとこない。なぜだろう。隙間が見当たらない。バランスがよすぎるのかな。

「そこにそれ置いたら100点!!」を連発しているような気が。噂では、本により文体を変えているそうで、もしかしたら、読んでいる冊数が少ないのかも。

あと、単純に物語の面白さを重視しているように思える。話がえぐいとかは置いといて、いい香りのする小説が多い。なんかめっちゃ土着的ないい感じの人に出会ったみたいな気持ちにはなる。

 

結局、物語の面白さより文体に目がいっているのだ。その人の思考や感受に近づくには、物語の筋より文体の節だと思い込んでいる。

 

隙間が伺えるものが好きだとはいったものの、華奢すぎて豪華になっている三島由紀夫さんのような力ある文体には惹かれまくります。

 

結論、文章に興味があるというより、思考に興味があるようです。

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