アーティスト写真を撮影していたら、「戦慄の観覧車」に出会いました。涙
今日は撮影依頼を受けて、公園へと出陣しました。
ええ天気でごわしたね。「公園には太陽が似合う」そんなことを改めて確認し、しんしんとしていました。
人様を待っている間、ベンチで寝転がってみました。
清々しい。遠くに観覧車が見える。「けったいな鉄の塊でんな」とか思いながらぼけっと見ていた。数時間後に、あの観覧車に恐怖に陥れられるとは知らずに。
「公園やしやっぱりサンダルでしょ!」ということで、とりあえず、足を上げてみた。
空に向かって足を上げてみたが全然届かずじまいでした。
こうなったら、、空と戦いました。
なんだかんだで、足を下ろしました。
そんなこんなで、アーティスト様がやってきて撮影開始。
やはり、最初は緊張感があるもの。大胆に冷静に会話をつむぎながら、いい空気を循環させる。それも立派なカメラマンの仕事。
「良き表情は隙間にある」という持論を噛み締め、撮影した。カメラを通してみると、その人の普段感じない魅力を知れる。
ルーツが少し見える。というか、、。
撮影というのはかなり深いコミュニケーションではないかと。さらけ出した表情を撮る、羞恥を乗り越えた先の表情。
悟り始めたぞ!とか思っていると、先に悟っている猫がいました。「この悟り仙人め!」という言葉が口から出かかりましたが、気持ちよさそうに寝ているのでほっこりしました。
カメラの値段が写真の質を変える説を知ってしまい、愕然としたけど、引き出すことや加工すること、その感性はお金ではないのだ。と、足の裏をかきながら今思いました。
撮影をいい感じに終えれて充実した気持ちになった。
制作に関われるのはありがたいことです。なので、撮影依頼、受け付けております( ^ ^ )/よろしくお願い致します(*_*)!
恐怖の観覧車
撮影も半ば、とりあえず、観覧車に乗ろうかということになった。彼女は「観覧車、怖いですよ」と言っていたが、私は全然話を聞いていなかった。
正直、デートの時にどうやったらキスできるかを考えたときの手段としてしか観覧車を考えたことがなかった。
軽い気持ちで乗り込んだのが間違いだった。怖すぎる。ガラスめっちゃ透明やし。。
風で揺れたら泣きそう。話しかけられても言葉を返せない。10何分かの地獄は終わった。上から写真撮ってみたけど、「綺麗」だとか思えない。涙
なんとか降りた。観覧車に一生乗らないと心に誓った。