独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「線は世界を分断する」 身の回りは線だらけだと思われる。

線について

 

「線」って、よく考えたらあとから概念づけられたものじゃないかい。

真っ白な紙に一本の黒い線を引く。真っ白は分断される。ああ、線よ。線がリアリティを二つにわける。そこらに歩いている人は、線をまとっているといってもいい。

腕を動かすと同時に線も動く。

 

人がいるから・・ではなく、世界を分断している線の結合が不規則に動いているから存在を感じているのかもしれない。

 

試しに腕に線を書いてみた。消えへんし、腕が汚れたじゃないか。

頭には「切ない気持ちのゴミ捨て場 夜になると開きたくなる扉」というMACKA-CHINさんのリリックが浮かんだよ。

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メモ用紙にもいっぱい線を書いてみた。

古代の象形文字の情けないバージョンみたいになった。

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線とは、かくも不思議なものだ。線だけを取り上げて周りを見渡すと「線、多すぎやろ!」といった心持ちになる。こんなに「線」のことを意識したことはないけど、絵を描く人は日常的に線を意識しているのかな・・。と、気になるわけでございます。

 

絵画は全然わからないけど、線と色彩に対する意識をすこぶる高めないといけないのではないか。

 

色によって、音によって、心情が変わる。当たり前の現象だけど、これまた不思議(´Д` )

マイナーコードは暗い。その感覚は主観的であり個人差はあるが、幅を大きく見るとほぼ全員が共通する。赤は情熱、青は冷静、それは言葉と同じく共通事項として、社会のお決まりごと的な意味で登場したのかな。

 

なぜ、その感覚になるのか。それを解明するには、やはり脳科学なのか。

いろいろ考えて行き着く先は、何かと脳科学に偏りがち。疑問が解消されないのは・・知らなさすぎるだけだろうけども(´Д` )

 

兎にも角にも、線って不思議ってことと「お口クチュクチュモンダミン」って、まとまりがあって素晴らしい語感だなと思うわけです。

 

ガエファエ!!(*_*