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独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

安心は状況を気づきにくくさせる。 また、安心は「当たり前」に変わっていくリスクを背負っている。

自我・感情・人間

安心感は状況を気づきにくくさせる

 

「一緒にいて楽しい人ではなく、離れて寂しくなる人を人生の伴侶にしなさい」みたいな言葉をネット上のどこかでふと見ました。

 

いなくなって初めて気づくとは恋愛の常套句ですが、人類の叡智はこの事象を克服できてないように思う。もはやその通りではないですか。

「面白いではなく、楽しいや安心感が本当のユーモアだ」と思っている私ですが、安心感というのは気づきにくいのです。

 

人は安心すると、とかく文句を垂れる。

仲良くなればなるほど、態度が横柄になるのもそういうことだと思いやす。親しき仲にも礼儀ありという言葉は見事に教訓になりますね。

 

付き合っているときは自分の主張をこれでもかとしていたのに、振られそうになると「なんでも言うこと聞くから!ダメなところ治すから!!」みたいになるパターンもあるかと思います。

 

これはまさに安心感の喪失による、安心へのしがみつきです。

テレビのバラエティなどにも共通のことが言えるかと。

当たり前のように流れを作って笑いが生まれて・・。相当のエンターテイナー力だと思いますが、自然すぎて見ている人はそれに気づきにくい。氷山の一角だけを見ているといいますか。テレビに対して「あの場面がああだ、こうだ」というのは、バラエティ番組がエンターテイナーショウとして成り立っているからこそ言えるのだと思います。

 

そう、何が言いたいかというと「安心感を持つとさらなる欲が湧いてくる」ということです。人類のカルマです。

安心感は「当たり前」に変わっていくリスクを背負っているのです。

 

仕事の出張で我が嫁は3日間ぐらい家にいませんでした。

いつも一緒にいると3日ぶりに会うだけで斬新も斬新です。そして、こんなにも助けられていたのだなと感じまくりです。

なんと安住の地で暮らしていたのだと。

その時、ふと「一緒にいて楽しい人ではなく、離れて寂しくなる人を人生の伴侶にしなさい」という言葉が頭をよぎりました。

 

感謝状でも渡そうかなと(´Д` )ぴげーーーー

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