独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

確率で競うのは捨てているから、確立出来そう。

近況の心情とか

 

ソファーに寝転びすぎて、身体中が痛い。「寝転びすぎ」そう腰が雄叫びをあげているよ。昂りが続くと、後々ドッと身体と精神に来る。そのドッとが次への火種と成る。着火。着火。着火。錯覚。

 

土曜日、久しぶりに健三兄やんのライブを見た。安定感というのか、ベテランのどっしり感も加わりいいライブだった。明らかに色々と上達している。カバーソングを取り入れたり、趣向を凝らしている。音楽について考えている時間があるからこそのといった感じだ。確実に一流のそれへと近づいている。

 

ワシも数年かかったけど、やっと一つスタイル的なものが確立できそう。確率で競うのはハナから捨てている。一つ出来たなら、そこからさらに幅を広げよう。本当はそんな堅い話ではなくて、もっと音楽が鳴る場所に居たい。先生のアルバムも佳境に入りさらしたし、春先にはauly mosquitoで音楽パーティーを開こう。 

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出来ることではなく、出来ないことを考えてしまうのは良くないのかもしれないけど、考えるからこそ不可は可へと孵化する。好奇心と探究心を失わず、気を抜きながらも考え続ける。緊張も緩和。

 

自分なら大丈夫。全部やりきる。
泥試合できる友達もいるのだから。