「怖いもの」「怪しいもの」にこそヒントがあるのかも。
最近、出かけると意外な人が「ブログを読んでいる」と声をかけてくれます。
なんと嬉しいことなのでしょうか( ^ ^ )/物書き冥利に尽きさらします。
昨日もこんな声をいただきました!!
「うんこ踏んだときに、ちょうど創くんのブログを読んでました」
はい、くそブログです!!
(お食事中の方、気分を害された方、すいませんでした)
先入観を消し去ろう
先入観だけで判断するのはよろしくないかと。
体験していないことを予想で語ることもめちゃくちゃあるけど、その予想は大体何か違う。体験と非体験には大きな隔たりがあるかと。
何冊か自己啓発系の本を読んだことがある。どれも似通っていて、「同じことばっかり!!」と思っていた。それ以来、あまり自己啓発に興味を持っていなかったというか、自己啓発はネットワークと相性がいいもので、自分には全く無関係の世界だとどこかで決めていた。
自意識過剰型ヒューマンの僕は、「自我やアイデンティティ」とは何なんだ!!という疑問を常に抱いているにもかかわらず、どこかで自己啓発を胡散臭いものと思っていた。「怪しい、怖いものには近づこうとしなかった」と言ったらいいのでしょうか。
うむ、発想の転換だ。
そういったものから得られるものもあるぞと。
入り口から遮断するのはよくないぞと。
1人では成し得ない。
そのためには人を巻き込めるようなエネルギーが必要だ。
そう、自己啓発をエネルギーを高めるものとして捉えれば、すごくプラスに働くのではないかと。そして、教祖やカリスマというのは、エネルギーが高い人のことを言うのではないかと。
人を巻き込めるエネルギー、ただ人間ができていないとそのエネルギーは人をめちゃくちゃにさせるものになると思われ。
何が言いたいかというと・・。
「先入観で判断するのではなく、自分の力になるように捉えればいいのではないか」というこれまた当たり前のことです。
過去に私は「芸術には暴力性が必要だ」と巻き込む力について考えていました。
その巻き込む力というのは、どの言い方が正しいのかわからないが熱量・エネルギー・バイブスだと思われ。
結局、、これって自己肯定感の強さとも言える気がする。
では、その自己肯定感をつけるには・・どうすれば。
というのは、また別のときに書きます(´Д` )
そういえば、ハッピークリスマス!!今から寿司食べに行ってきます。