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独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「当たり前のことを捉え直す」 それはもはや立派な創造活動だ。

新発見・発想の転換

前略

 

「ブログを(ほぼ)毎日更新だ」という手前みそな不敗神話は忙しいという軽妙な言い訳により、崩れ去りました。後一週間ぐらいはちょっとばかし厳しい戦況が続きますが、その後は日々ブログ更新という不敗神話を復活させます。

 

常に言葉と隣り合わせで生きていきたい何奴としては、更新しないというのはまずまず危険な状況でございやす。

  

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とまあ、前置きはおいときやして。

今日は創意工夫について書こうかと思っております。

 

行為に対する攻め方

 

自分の行為を振り返り「こうやった方が良かったのでは?」が創意工夫へとつながることとなります。

 

しかし、タスクをどんどんとこなす中でそんなことを考えるヒマもないし、「歯を磨くや風呂に入って体を洗う」などの当たり前の行為については改めて考えたりしない場合が多いと思います。

 

否!!その当たり前のところを振り返れば新たな発見が、、あるのかもしれません。

 

「歯ではなく、歯茎全体を磨いてやろう!」「歯ブラシを縦に使うぞよ!」など色々とあるかと思います。(ただ、歯磨きは正しいやり方があると思うので、それをやるのが絶対一番です!!)

 

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いつも当たり前の手順で、当たり前にこなしていることを少し意識的に変えてみる。

 

「ここらへんに芸術の素があるんじゃないか」と、論理の飛躍おじさんは思うわけです。

「芸術行為はそもそも生活の中にすでにある」と何かの本に書いていたような気がします。うろ覚え。。

 

歯ブラシのやり方がどうというより、

 

「当たり前の行為を俯瞰で見て、さまざまな角度から攻めてみる」という行為そのものが芸術なのではないか。

 

芸術とは、美的な物体、環境、経験を作り出す人間の創造活動。

と、小学館の辞書に書いてあった。そう、創造活動。

芸術と相性がいい絵や音楽だけで考えるのではなく、広義に捉えてもいいのではないか。

 

スポーツ選手でもえらく芸術的だなと思うことがある。

羽生結弦さんのスケートを見ているとそう感じる。

圧倒的に美しい。スケートとか一切わからないけど、羽生さんには完全に魅せられる。

 

同じ行動でも角度を変える。

今なぜか頭の中で「Mother、Mをとったら他人です」というCMが流れてきた。

 

あんちくしょう。

妖怪変化に会ったようなそんな衝撃を、言葉を駆使し創造する。

 

あんちくしょう。

ボブマーリーもこう言っていたよ!

 

雨を感じることのできる人もいれば、ただ濡れるだけの人もいる

 

Graffiti Gandia