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独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「あの時代へタイムスリップできる随筆」 川端康成の『一草一花』を読んで・・

一草一花を読んで

 

川端康成先生の一草一花を読んだ。

  

これは、小説ではなく完全なるエッセイです。伊豆の踊り子を解説したり、自然描写の書き方を語ったり・・

 

自然描写は見たままのものを、ありのままに書くほうが情緒的になり美しいみたいなことを言っていました。空想や想像で自然描写すると良くないというようなことを。

 

このエッセイには、さまざまな芸術家や小説家の話など出てきます。

昔の小説をただただ読むだけでは感じられないその時代の空気。それをひたすら吸い込めるという点が何よりも興味深かった。

「凄すぎる昔の小説も人間が書いた」ということをより強く実感できました。

そして、普段はどういうものに心を奪われていたのかなど、少し思考に触れられた気がした。

 

今、当たり前のように本になっている小説も文芸雑誌や新聞にちょっとづつ載っていたもの。読者は子供のころに読んだジャンプみたいな感じで、「次はどんな展開が待ってんねや〜!!」という楽しみ方をしていたのか。

 

その時代に生きていないから分からないけど、昔(明治、大正、昭和の途中らへん)は小説家がもっと崇め奉られてのではないか。

 

もっとメディアと密接な関係だったのではないかと。

 

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この一草一花の最初らへんの文章が川端康成先生が書いたものではない気がする。文体が違うというか、、独特の羞恥心や言い回しがない。整いすぎというか。

ゴーストライターを使っていたという噂も聞いたことあるから、誰かが書いたものもあるのかなと。。あくまで予想だけど。

 

 

後は、ノーベル賞の獲得を「めぐりあい」と書いていたのが印象的だった。

川端先生は、捉え方によってどうともなる「めぐりあいや縁」などを素直に受け止めていた。

小説家は捻くれ者だとどこかで考えていた僕は驚愕した。川端先生は気づいたら人に助けられているそう・・。やはりスーパー魅力的な方なんだと。(この繋げ方は安直すぎかな?)

 

とりとめのない文章になりましたが、読書の醍醐味である「時代を感じる」のには超オススメの本です♪