独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

『踊らされるのか踊るのか』 Twitter・FacebookなどのSNSのすごさとは?

支配と被支配

 

mixiに始まり、TwitterFacebookなどSNSは日本中を席巻している。

最近、全然逢っていないあの人の近況を知れたりとても便利だ。

初めてお会いした人に対して、いきなり連絡先を聞くのに気がひける場合、SNSを挟むと何だか緩和される。「いきなり聞くんはまずい、でも連絡先知りたいしな」という思いを見事に解決してくれる。すごくいいものだ。

 

ただ、時に僕はSNSに支配されているのだろうかと感じてしまう。

その原因もなんとなくわかっている。受動的に触っているから。

「なんとなく見る」1日にこれが何回もあると、SNSに踊らされていると思ってしまう。ぼっーとしていると結構見てしまうもので、意志を介入させないとコントロールできなかったりする。

 

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SNSは投稿に「いいね」をつけられるという評価を数値化したような制度だ。

この仕組みが人間の心理を掌握、また、SNSが広まった要因の一つではなかろうか。

人は少なからず承認欲求を持っている。

 

企業の面接で何回も落ちた時に、自分はダメ人間だと思い込んでしまう。「いいね」や「リツイート」が極端に少ないと自分には価値がないと思い込んでしまう。(価値を社会という枠組みの中にしか持てていないとより顕著になる気がする)

 

そうやってSNS様は社会的評価というフィルターを操り、人間様をコントロールしている。

 

少し大げさに言っているけれど、少なからずそういった面を持っているのではないか。そして、否定・肯定とかではなく、承認欲求の心理を絶妙に生かしたSNSすごすぎって話!( ^ ^ )/

 

受動的か能動的か

 

携帯電話をいじれば情報があふれる。

受動的ではなく能動的に得なければいけないと思う。情報に対して受動的というのは、ご飯の時間でもないのに、椅子に座らされ二人羽織で後ろから肉、野菜、麺類など混沌と無理やり食べさせられる感じに似ている。

 

 

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情報を見たときに頭の中で、自分で考え直す作業(要約)をしてこそ、初めて身になると思う。全てを暗記するわけにはいかないので、今までの知識と照らし合わせながら。

 

踊らされるのか踊るのか。

そう天下は2つに分けれるってこと。