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独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

『違いに興奮できる好奇心と勇気を』 人の個を認めることが最初の一歩だ。

自我・感情・人間

違いを楽しめる大人になりたい

 

えぇー、まず、今日はワインを飲んだ勢いで書いていることをお許し下さい。笑

突然ですが、細かいことを気にしてまうタイプの人は、違いに興奮すればいいのではないか!と感じてしまいました(´Д` )y

 

ざっくりしているのに、頭を回しすぎる僕が26年目にして気づきました。

「違いに興奮する」・・興奮すると書くと変態みたいですが、とりあえず、違うんだ、だから、楽しいんだ。・・というのを保つのです。

 
価値観が近い人と居ると楽です。

でも、突拍子もない人といる方が考える機会がふえるような・・。こっちが突拍子もないと思っている場合、向こうも突拍子もないと思っているか、特に何も思っていないかのどっちかだと感じます。

 

言葉で言うほど違いを楽しむのは簡単なことではないと思う反面、「楽しんだらいいやん」の一言ですむシンプルな事柄とも感じます。

 

やい、やい、私の感情。

なんでそんな両極端何ですかW(`0`)W

 

やい、やい。

違いを楽しむの源流は、やはり、好奇心ではないかと。

好奇心がないと、思考的には死ではないか。

 

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気にしすぎているのではないか、ということを気にする、ということを、気にする。という、無限ループによく陥ります。

 

でも、誰だってそんなんあるんじゃないか!えっへんといきたいところですね。

そして、ほんとうに頭回している人からすれば、井の中の蛙大海を知らんがな的なことなのでしょうか。

 

芯がないことが自分の芯みたいになりつつあります。禅問答スタイルです。

飲んだ席でおんなじ話を繰り返すみたいなブログになりましたことを、ここに宣言します。

 

戯言も戯言、ご静聴ありがとうございましたW(`0`)W

 

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