独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「戦争の夢を見た」

昨晩

 

戦争の夢を見た。
兵隊に追われ必死で逃げている。知らない人とともに逃げている。「この人についていけば助かる」という、謎の確信のもと、その人についていく。しかし、途中で気が変わる。その人と違う方向に逃げてみた。棒みたいなのがあって、そこにしがみついていた。 


逃げられるているのか、そもそも追われているのかも不明になっていた。

兵隊に追われていたというのは、夢の認識であり、実際はどうだか。記憶をたどれど、あまり思い出せず、ただし、戦争の夢を見たことがなぜかはっきりと思い出せる。理由を聞かれてもわからない。でも、そうだと言える。それはとても不思議であり、何か大切なことのような。蘇りのような、気怠さのような。棒にしがみついた後は、夢がどう進んだのか覚えていない。 

 

夢は切り替わり、明るい色調になった。いい夢を見た。けれど、最初の夢を見たときと同じくらい体力を使った。二つ目の夢は思い出せない。眠る前に少々、緑茶ハイを飲んだからなのだろうか。原因を探す性質のものではないと、思い返す。


ふと目を覚ますと、横で嫁がぐっすりと寝ていた。

そして、私は安心して眠りについた。

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