独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

自我・感情・人間

傷つきやすいとは、自己中心的だ。

この心が追っつかないというのは、自分のことしか考えられていない証拠だ。 周りの人は、自分のクセをことごとく指摘してくれる。めっちゃ、痛い。でも、ありがたい。

「人と何かをするということ」 そして、周囲の好きな人を「ぐわんっ」と連れていきたい

「人と何かをする」というのは、簡単じゃないけど「生きていると感じる瞬間」「何にも代えがたい興奮」みたいなのが潜んでいるはずだ。きれいごととかじゃなくて一人じゃないんだと。完全に個人的な考えだけど、一人で例えうまくいっても感動の頭打ちを迎え…

「よろしく、さっちゃん!!」結婚して1年の月日が流れました。そして、おばあちゃんから手紙が届きました。

夫婦は持ちつ持たれつですね。人との生活は「相手をどれだけ許せるか」に尽きると思います。「相手をどれだけ許せるか」というのは、愛情ですね。「興味が湧かないことに関しては振り向かなさすぎるやろ!」という性格を理解してくれて有難いです。

子供向けアニメの主題歌の歌詞を見て哲学。

「なんでもかんでもみんな踊りを踊っているよ」なんという凄まじい詞だ。パーティーの幕開けです。

意識しながら生きることに慣れっこになってしまった。

「人から見る自分」と「自分が思う自分」ってかけ離れているよね。勝手に頭にうごめくけど、何事(´Д` )・・秘め事。

いくら通り過ぎても、等間隔の外灯は夜を白白と写す。

瞬時のフラッシュバックも、あくまで直感的。引っ掻いては通り過ぎる。物語が円く囲う。

10年ぶりくらいに会った友達の話。前を見ている人と話す時間はいい時間。

もっと大人になれば違うお酒の味になるのでしょうが、今は今の味を噛み締めていく。過ぎ去ったものは未来への投資で、ぼんやりと灯る場所に連れていかれる。

「オタクのすすめ」 おたく心の上に花は咲く。

評価の対象、批判の的になるようなところまでいくと、それはもう立派なブランドだ。

ただ過ぎる時間に時間に身任すか 視点ぐっと上げ世を見渡すか。

振り返る時間、気付かない時間、それはふりこ時計のようにただただ行ったり来たりしているのか。注力と集中力が吸収力になりぬる。

「ただいま、我思うゆえに我あり状態!!」 思想を持つということ。

芯から固められた思想を持つ人の言葉は、強く響く。

やいやい、笹谷くん。あの日みた大人に近づけているのかい。

感情や日々を乗り越えてきた感じの目をしている。

性質に優劣はないと知ると、人を受け入れられるようになる。

優しさとは、価値の尊さを知ること。

好きなものに素直になるのが人間よろしゅうございますね。

適当にめくってみると、「人間は何でも娑婆っ気がなくなったら仕舞だ」との名言が出ました。

文明は社会という枠組みを作り、人格さえも作る。

そういう意味で、自国を知るのは自分を知ると言える。国だけではなく、アイデンティティの形成を手伝ったものを掘るのは自らを掘っているようなものだ。

「移りゆく日々の随筆」 ある意味で人間らしく心象を綴る。

数年前に、おじいちゃんに宛てた手紙を読み返してみた。若くて浅はかだけど、必死に頭を巡らしているのだなとは思った。相も変わらずそれは継続していきたい。

透明でも追い縋る。 日々の擬似的感覚を打ち破るための文語

認識の海を泳いでいるようで、壮大な海は別にあって矮小的になる。

結婚式前夜。明日は、一生に一度の特別な日にしよう。

嫁会長は最高です。恥ずかしさもなく、のろけでもなく、本当にそう思うんです!!自分自身は欠陥が色々あるけど、嫁会長は本当に柱、精神的支えでしかない。何より一緒にいて楽しいし落ち着く。

安心は状況を気づきにくくさせる。 また、安心は「当たり前」に変わっていくリスクを背負っている。

「面白いではなく、楽しいや安心感が本当のユーモアだ」と思っている私ですが、安心感というのは気づきにくいのです。

「解釈というのは感情の上でこそ成り立つものだ」 世界の全体を知りたい欲求。

体系的に理路整然とまとめる技術は確実にいるが、感情がないとそれは意味をなさない。緻密で革新的な自動車もガソリンがなければ走らない。

さあ、どう生きようか。

現実は虚構。さらに、その上に虚構を塗り重ねたのが芸術なのか。ただ、虚構の賜物は私の心を攫っていく。これは輪郭を持つ持たないに関しない事実。

「あゝ、我が人生よ」 感受性と社会性は両立させられるものなのか?

中庸を目指し、ひたすら凸凹を眺め細分化する者。周囲に目もくれず自ら道を開拓する者。歳月が照らされた瞬間に生きているのはどちらか。

我は戯れ言を多発する動物か。 鬱蒼と花咲かせる一輪の植物か。

馬車馬のごとく、未来を乗せ作業を完了させる。赤い椅子にちょこっと座り、電子計算機に向かい合う。怠惰を悪魔と仮定し、習慣を作る。

グラウンドの端っこで1人絵を書いていた少年は今日も生きています。

私は幼少の頃、なぜかラグビーをしていました。何歳の時だったか、記憶など全くありません。みんなが汗を掻き、一定の爽快さとほとばしる情熱を持ってボールを追いかけている間、グラウンドの端っこで地面に絵を書いていました。

「心に狂気を飼おう」そして、自分の中の傲慢さを刺そう。

なんか急に心がしおれたので大掃除を中断しています。「テレビの裏とか冷蔵庫の裏とか、カッペートの裏とか全部攻めたろかい」という意気込みで始めたので、始める前より部屋が汚くなりました。

「怖いもの」「怪しいもの」にこそヒントがあるのかも。

「うんこ踏んだときに、ちょうど創くんのブログを読んでました」はい、くそブログです!!

「物は2回生まれる」 箴言の数々を頂きました。

一番心に突き刺さったのが「なすべきことをなせ」というシンプルな言葉。 25歳も超えればやりたい・やりたくないの判断ではなく、なすべきことかどうかで行動をどう取るか考えるべきなのではないだろうか。

「抜いて!力を・・」 私のリラックス方法のご紹介 (ピーナッツ太郎の戯言あり)

ささやくように「ナッツ・・」と言うと「(ん)ナッツ」となる。最後の「ツ」の消えていく感じとかがいいよね。

「あきらめこそが原点」 上京した2年前を振り返って

「目先のことしか見えなかった、見れなかったけど、人生を長いスパンで捉えられるようになった」と、細眉がおっしゃています。

自我とは一体? 人様の『志向と思考と嗜好』から疑似体験を得てみよう

「相手のやっていること、好きなことに興味を持つと色々知れて(疑似体験できて)楽しい」ということ*_*!!言ってしまえば、疑似体験集めもポケモンGOみたいなものではないでしょうか。

『調和への道』 〜良き人間関係へ〜 価値観はさらけ出せ!受け入れろ!

自由には責任がついて回るように、本音は受容とセットでないとダメな気がする。相手の価値観を受け入れる。自分の心を吐き出し、相手の心を受け入れないと、距離感がおかしくなる。こちらの価値観が全てになると、ただの支配・被支配の関係である。