心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

自我・感情・人間

なんとも当たり前な話を噛み締められるように。

細かい心の動き、その記憶は時の経過とともに薄れる。書き記せるうちは書き記しておく。

「生きてることだしやろうか」

マイナスをプラスに変えようとする働きにこそ、人生のひとつの営みがあると考えているが、「生きる」いう観点を「死ぬことを逃す」と置き換えている辺りにそういうのもあって。

依存には人間らしさも含まれている

音楽は嘆きであったり祈りであったり、原始的、神秘的、そういった性質と親和性がある。それは違う側面から見れば、仮定されたものでありもはや幻。仮説を複合させることによる曲芸のような。トリップ。

方法はちがえど、なんだか同じじゃないか。

取材していると表現者に共通していることがなんとなくある。「理解されない」、「理解されていると思えない」。

カウンターであるということ。

感情と行動を分離させないと。身体がもたない。でも、そこに表現が隠れているのではないかと、淡い期待もある。

人間が人間を伝える。

文字を浴びていたのも結局、妄念からの逃走。

そんなしけた顔してどうした。力になれるならなりたい。

心に溜まるものもない。すべてはするりと流れていく。心象は形を変えて表現となるはずが。

創作にとって情報を得るとは新たな素材を貯蓄すること

”川はいつもそこにあるように見えるが、流れている水は二度と再び同じ水ではないとしている。そういうものとして生命があるのが動的平衡で...”

注連縄

首の長い麒麟は 葉を悠々と食べる

誰がために伝うかは、未だに雲の中。

誰かへの憧憬は背中を押しても、決して届かない。諦めが肝心、齢を重ねて思うこと、正しくは諦めも肝心と強く思う

人前で述べる意味や意義。

「表現」という母体を、どの角度で照らし、噛み砕き、伝うのか。

あたまにうかぶ

感覚の一致というか、何も考えていない状態とは、「何も考えていなかった」と後から認識しなければ生まれないのか。

新しい環境について

ストレスという負荷を受けている主人公(主客)と、それを冷静に眺めている自分(客体)、そのバランスがいいと、新しい環境の負荷は次への火種となる。

目覚めに善悪もなく、ただ平行線をたどる

騒がずともそれは血となり肉となる。奥ゆかしくあれ。

おもってもいない愛想笑いは、表現を殺していくだけ

あと、多分、自分の価値観が誤解を持って伝わり、苦心する。経験からそう感じる。

みんなと「肩を並べられる」安心感は麻薬的だ

時たま古本屋で見かける藁半紙。持ち主を転々と変えて、誰かの手に届くまではそこにずっと佇む。

私は情報ではなく矛のきっさきを感覚に向けて、言葉に落とし込む。

志といえば聞こえはよいが、とどのつまり、様々な角度を見た上でのしつこさ、みたいなものかと。

曖昧という魅力

究極の主観、いつか客観へ。具体性発、抽象性着。

表現、世に出るまでは商業主義に触れない

人間の根源的なことに触れて創作をしている人と出会えて嬉しく。

決して裁くな、赦せ

描いた理想郷には百花繚乱のごとく才ある人物が在る。その一方で、ここには門外漢が跋扈している、と鼻息を荒くする。

本質的なものの評価軸を社会に根ざしていきたい

いずれにしても、貰う側から与える側へと感覚が移っている。還元。

整理つかぬ

鋭さゆえに疲弊を得るなら、フラットに鈍感を夢見し。今日は代え難いという、言葉の意味をなぞらえて。

つらつらと独り言、言葉に落とすこと、書くことによって。

「一時的な対処」を創ることに昇華させる。また、やってくるならまた創る。

「乖の離」

祝福は民に近づき、無垢な心の回転はなぜ怖気づくの。喉を詰まらせ何を伝えようとしているの。

季節を調べた「二十四節気」、これから。

白露に芒種、雨水、となんだか趣深い。

蔵前4273、ありがとうございました。

どうしても、時は流れていくけど、自分にとって、様々な「きっかけ」を繋ぐ場所となりました。

わたしはわたしの道を、あなたはあなたの道を、そうすれば、きっと会える

闇の中で光を手繰り寄せるように、何もなくただ鼓動が早くなるばかりで。

なにものにもなれない者は唯一その者になれる

の前を一生懸命に耕しつつ、遠い先の未来を想像し人生を彩る

自分で決めたことを書き出し、ただ実行する。

否、実行と理論の乖離を乗り越え普遍的な樹木の設立。どの葉も違う色を備え立派に。

人間らしさとは。 心の奥は混沌としているもの

染み付いた性質に一番リアリティを感じた。