独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

新発見・発想の転換

天秤を侮っているものは何も謀れずに、ただ乾きを積み重ねて浪費する

「あなたは愛する人と話すことさえも禁止していないですか」言動は巨大な大木となり命を奪いにくる。

意識しない音や意識しない模様を浮かび上がらせ

木をみて、「これがどうして紙に!!?」と。あらゆる軋轢は損や得を考えてしまうがために生まれるのではないか。

まずは、生活のスタイルを知ることから

特に疑問に感じることなく、エネルギーを消費し、私たちは満足を得ている。私はそのエネルギーはどこからやってきて、どうお金が絡んで、どれくらい残ってて、どういう弊害があって、どういう利点があって、違った活用方法はないのか、など何も知らない。

創作の頭打ちに対して、

100の大胆さを持つなら、同時に100の繊細を持つというのが、いい塩梅と考える。

「数学の世界」良書に出会いました。その時、

聴覚、視覚、感覚。どの「覚」を揺さぶり、どう繋がりお目覚めするか。

人生を楽しみたいなら、知的好奇心を常に更新することさ

尻相撲をさせられたときのような恥ずかしさ!

「美しい文章とは何であろう」 止まない考察

日々、何を大切にして生きているか、そこに違いが生まれ作品に感性が吹き込まれる。

いくら呼んだって返事がない、彼女の返事がない。

昔、祖母は「人は何かに依存しているのよ」と口ぐせのように言っていた。

依存こそが歴史を紡ぐ

不変的な真理とはひとつ、人間の性質であるのだから。

笹谷くん、撮影にミックスダウンと制作中でございます。

そして、自分のアルバムも作らなくちゃ。理想の歌唱にならず3年くらい世に出すのを見送っている。しかし、ソロソロ溢れてくる。

希望ある未来を考えるのは、日常のおつまみです。

硝子戸の中 夏目漱石 馴致じゅんち 木賊とくさ 低徊ていかい 佇立ちょりつ 玲瓏透徹れいろうとうてつ 慰藉いしゃ

営む。

一つ目、物理的風化。岩石の結合がゆるめられ、破壊されていくそうな。

はて、好奇心と踊り明かす。 なんとなく、関係性が見えた。

これを読むと「単位」とかも誰かが決めているんだと、しみじみ思う。では、どうやってそれらを決めていくか、どんな理由により、決めていくか。

大人になった僕は気になる観点が変わってきた。

そもそも、それは何か。世の中、仮定されたものばかりではないかと。道具として都合がいいから仮定されるのか。なぜ、仮定されるのか。もちろん、ひとつは人が生きやすいように、生存本能から仮定するとは思います。

「草臥(くたびれ)と酒の酔い」この一文から軽い考察をしてみたよ。

次、草臥と破滅。草臥と誘い。草臥と庶り。草臥とフカヒレ。2つ熟語を並べて、そのバランスが絶妙だと、何かとタイトルっぽくなる法則が自分の中にある。

「論理学ブーム到来!!」 言葉ゆえに思考。

一人の人物が考えるには限界がある。いくら「柔軟に!」と思っても、どこかで強い思い込みがあるのではないかと。強制的に視野を変えられるのは「言語」にヒントがあるように思う。一番は日本語以外の言語を習得すること。外国に住んで英語で考えるようにな…

芸術と哲学・・。 「別次元の何かを創る」ことと「世界を徹底的に見直す」こと

哲学とか理論の曖昧性と芸術の曖昧性は、全く別個のもののような気がします。前者の曖昧は落とし所や理解への手助けとして、言語を駆使した曖昧性と言いますか、後者は押し出された曖昧性といったらいいのでしょうか。

「戦っている人同士は、一見仲むつまじそうには見えない」 近所で飲んで思ったこと。

「誰しもが気にならないことを取り上げる」というのも一つの作品でブランドだ。ああ、ついつい、飲み過ぎてしまった。しかし、もはや、確信めいたところはあります。

動画の吸引力に人は惹きつけられる!? 批判や讃称の対象がことの始まり。

印象を残す。うまくいかないと、ほうぼうの体で退散することとなる。そして、復活する。

「地面を撮るブームが訪れていた話!!」 切り取るからこそ、わかること。

人間の目は四角の枠ではなく、視野でとらえている。それを形として抽出してくれる。写真やカメラの興味深い点の一つでございます。

知的活動も肉体活動も大切にしよう。

疲れた体に鞭を打ち、運動をしてみる。中途半端にではなく、久しぶりにフットサルに参加した時のような感覚で「いやあ〜、運動したなぁ」と呟く。自らの運動にマッスを感じるほどに。

デザインは使う側がいてこそ、初めて成り立つ!

集約して、整理して、新たな価値に組み替えるのも、言いようによっちゃあデザイン。

個性を普遍性へと持っていくためにも、「型」にハマってみよう。

なんとなくこなせることと、反対の場所に自らを置く。それが「勉強」であるとある哲学者が言っていた、と友達が言っていた。

「日本の美術シリーズを開く時がきた!」 買ってからいままで放置しててごめんなさい。

「日本の美術シリーズ」と出会ってしまいました。「運慶と鎌倉彫刻」「小袖と能衣装」「日本美術の誕生」惹かれずにはいられない。

「夢や愛はキラーワードだ」 友人が発した一言から抽象と具体について考察

「神隠しに遭った唯一を披瀝する」これは抽象でごわす。披瀝するの意味が、心の中の考えを打ち明けることであります。

「曖昧に断定に、なおかつダンディに」 断定と同盟を結ぼう。

断定と曖昧 3年前ぐらいにマレーシアに行ったような行ってないような。 多分3年前です。スマートフォンを駆使し、張り切って色々と写真を撮ったかもしれません。 道端とか公園とか茶畑とか、、何かしらの写真を撮った可能性もなくはないような感じもします。…

「線は世界を分断する」 身の回りは線だらけだと思われる。

人がいるから・・ではなく、世界を分断している線の結合が不規則に動いているから存在を感じているのかもしれない。

見事な演出力!!圧倒的な魅力がある「IKEA」から学ぼう。

「テーマパーク的要素」これは何かイベントを打つなど、空間を作る際にとても参考になるのではないか。しかし、そうすると目的からぶれる場合もありそうだ。取り込み方が大事だなと。

「音楽作れる・デザイン描ける・文章書ける・写真加工できる・情報取得できる」 やれ、パソコンはライフラインだ。

今更ですが、パソコンとは何と革新的なものなのでしょうか。主観的に情報を取りに行った時の頼りになる感じ。

「文体と歌声は同じところからきている」 影響と分析とスタイルについて

それは感性、正確、思想から出来上がっているように思います。この辺りは的確な言い回しが思いつきませんが、大体そういったものから成り立っています。