心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

とにかく雑記

限定的な共通言語と解釈するのは飛躍が過ぎるが、ある種の暗号的な役割を持つ。

簡単な言葉で要領を得て説明できる人を尊敬する。その一方、これらの用語に心踊る自分に気づく。

「人間やってるね」

旧友は上手に例えるものだと、しきりに感心してしまった。

『割り当て』

動く車窓から見えるマンションの光、信号を渡る老婆、

居に安んじ、業を楽しむ

一般的な教養レベルの知識を得んがために、現在、万里一空の精神である。

自己の方針を定められるのは、「感情」と「前提にある価値観」

久しぶりに本を読んでみた。文字を目で追うのではなく、文字がばっと頭に入ってきた。「読む」というより「見る」に近くなっている。

前に歩いていかないと後ろに道はできない

お金に興味無いけど、精神だけは起業家を見習うほどに。分刻み。

ひたすら繰り返し収斂させていく作業。

意識や思い込みはそういった感覚的な練習に作用する。

根拠のない直感は帆の向く先を変えてくれるのか

マイルスさんの電気時代のアルバムを聴いて、やたらとくらってしまい。

しばらくは淡々と毎日を綴ってみようと思う

音楽のレコードだったり、なぜ、アナログ的なものに惹かれるのだろう。

con-+tempus

滴る水が蓄積し出来上がる氷柱、その美しさは過程に裏打ちされている。

感情はいつも時間遅れでやってくる

大人になれば、よりそれぞれが主役。その価値観は自分とたまたま違うだけ。その価値観を貶すことに意味など皆無で、互いの共通点、接点。

言葉を知り、美しいと感じられれば大丈夫。

30代を進んでいく時、そこに知性やある種の専門性がなければ変化を起こせず、同じところをぐるりと回っているだけのような。

今もなお、表現を探す。

作為的に滅裂させているという当人の意識があれば、成り立つ。

プラナリア

いつからか錆びつき サナダムシの悔恨 幻となる今現在の風景

平成も終わるのか。しっかりしなきゃ。

問いかけが聴こえないよ。心配させたくないよ。

「いずれ交わるなら早く 絡むもののない蔦が枯れている」

辿ってきた道は表現と連なる。失敗より、情熱が消える方が数段恐ろしく。

「雨粒」

雨は無造作に方向を定めず降り続けた。傘に小さな穴が空いていた。雨粒が肌にひっついた。少し髪の毛も濡れていた。

白い壁-冒頭-

独り言は物語にはならず、孤独の内に散っていく。

『葡-pao-』 コッペパンを食べる。

早くもふた口目。私はパンにかぶりつく。訪れる幸福を逃したくはないものだ。「視線が喜びを殺すなどとは、なんたる悲惨。私はパンを食べているのだよ」

最近のインプットを少しばかりご紹介。

誇張せず、起こった出来事をつらつらと並べている。それだけで十分に人間味が出てきて、面白い。

2019年、開幕!『今年の振り返りやこれからのこと』

生きていて、年をとればとるほど充実しているように思います、ありがとうございます。

諦念風

父親が教えてくれた自転車の乗り方。あの日の車輪を思い出せ!

本は悲しいぐらいに立派なお友達です

本は考えることが整理されている、それをまた、読み取り、再構築する。そんな作業が脳内で

僕は将来、ハゲてもいい

しかし、増毛エクステ、ニーズがありそうなもので、目の付け所がシャープです。

「餃子ヲススメ」 胃袋に求められし実家のぎょうざ。

タレには醤油やラー油を入れない。

その男、東京につき

東京、その喧騒はあわよくば時を忘れさせ、人が生きる路線をも変更する。

紛うことなき、トマト拉麺を食したのだった。

器に太陽が押し込められたのかなと思うぐらいの眩さ。

中島らもの本を読み耽っていたあの時みたく、午後の労働に身が入った。

季節の変わり目には美しい情緒が添う。それは数分もあれば感じられ、身体に変化が起こったと錯覚を起こすほどだ。

「戦争の夢を見た」

棒みたいなのがあって、そこにしがみついていた。

「その瞬間」 一場面に・・。

いつの時代も変わりなく、憂いを帯びた瞳には吸い込まれそうになる。