集中力は自身を取り戻す力でもある。まさに可能性。
瞬間に集中すること。
大げさに食べ物の咀嚼の瞬間であれど。何も思い浮かべず、目の前と向き合う。想像で遠くまでいけども、目の前の一点をもっと見る。木を見て森を見ず、遠くのものをみ過ぎて今、現在を忘れている。毎日の繰り返しは思い込みに司られているだけである。
今ぐらい、他のことを気にしなくてもいい。
集中できることを探すのではなく、忘我をあえて生じさせる。
その行為は不自然なれど、気分が優れない癖は矯正できる・・、少し観測的希望。反応に癖があるように、思考にも凝りがあるのではないか。一点の曇りもないほどの。情報を受動的にひたすら浴びて、しまいには自身が大切にしていることが霞んだりする。
集中力は自身を取り戻す力でもある。まさに可能性。
今日は246さんのイベント、カールモールへ。ぶれすぎたから、逆に生かして。
イベントうまいこといっていたから、こっちまで嬉しい。
言葉を知り、美しいと感じられれば大丈夫。
肉体が衰えていくように、感受性なるものは20半ばがピークなのではなかろうか。30代を進んでいく時、そこに知性やある種の専門性がなければ変化を起こせず、同じところをぐるりと回っているだけのような。”教養”というのか、どういう言い方が正しいのかは不明です。
口で話すことと文字に起こすことはどちらも言葉を使用するが、性質に明らかな隔たりがある。そもそも受け取る手段が違う。口で話されたら耳で聴く。文字で書かれていたら目で読む。聴く行為の方が読む行為より、直感的であり瞬発的であるかと。脳にどういった影響を及ぼすのだろうか。
言葉を綴れど、どこか虚しい時がある。なぜか。綴る行為は浄化的な働きをしていたはずが。どういうイメージをもたせるのかが定まっていないからなのか。言葉を知り、美しいと感じられれば大丈夫か。
何であれ、調べていると、心躍る瞬間がある。それも出会いかと。
四字熟語をちょいと調べてみた。
かしん-れいげつ【嘉辰令月】
めでたい月日のこと。よい日とよい月の意。
▽「嘉」も「令」も、よい意。「辰」は日のこと。
句例:嘉辰令月を選んで結納を交わす
たいぜん-じじゃく【泰然自若】
落ち着いていてどんなことにも動じないさま。
▽「泰然」は落ち着いて物事に動じないさま。「自若」は何に対してもあわてず、驚かず、落ち着いているさま。
句例:いつでも泰然自若としている用例あなたったら、あんまり愕おどろかない性質たちね。泰然自若たるものね<三島由紀夫・愛の渇き>
けいちょう-ふはく【軽佻浮薄】
考えや行動などが軽はずみで、浮ついているさま。
▽「軽佻」は落ち着きがなく、よく考えないで言動するさま。「浮薄」は浮ついて軽々しいさま。信念がなく他に動かされやすいさま。「佻」は「窕」とも書く。
句例:軽佻浮薄な振る舞い用例昭和維新の目的は、すべての軽佻浮薄の根元を叩きつぶすことにあるのだ。<井上光晴・心優しき謀反者たち>
最後に、カメラロールに入っていた写真。
(多分、渋谷ツタヤの7階)
(忘れたけど歩いた道)
『カフェの一幕』
下北沢のとあるカフェに立ち寄った。壁の本棚にはピカソ大全集があり、店内には粋なジャズが流れる。軽妙に話す若者にじっと本を読み思い耽る女性。
照明に布を被せ、薄い橙色に店内は包まれている。少し古びたエプロンを身につけて食器を洗う店員、辺りに配慮をしながら。彼女の目は少し窪んでおり、頬はふっくらとしている。それでいて身体の線が細く、造型物のような、妙なバランスを保っている。
「ここに金額を書き込むのよ」と左手にペンを取り、アルバイトの青年に話しかける。
青年は返事をせずに、こくりとうなづく。お皿を慎重に片付ける彼女の様子は、ふくらはぎにスッと止まった蚊を優しく追い払う瞬間に似ている。
彼女自身が店内のレトロな雰囲気と調和しているためか、赤い座布団の上に座った猫は眠っている。温かいコーヒーを飲んだ私は、水の入ったグラスに手を掛けた。ひんやりとした冷たさを感じた。
「ごちそうさまでした」と自然に言葉が浮かび心が弾んだ。
とげとげしさのない心地の良いお店を後にした。