はて、好奇心と踊り明かす。 なんとなく、関係性が見えた。
引き続き「数」が気になる
やはり、やはり、引き続き「数」というものが気になって仕方がない。
ということで、数学入門を読んでみました。なにやら、高校の後半から大学ぐらいまでの数学で、微分に積分、ピタゴラス、関数、ベクトルといっぱい出てきた。
まるで、小説を読むかのごとく読んでいると内容は全然わからなかった。しかし、感じたことはある。とりあえず何事も置き換えていると。
周りを見渡せば、ギターにスピーカーに携帯電話、電球と・・作られたものは綺麗な形をしている。これら、全て数学の餌食じゃあないか。全部になにかしらを当てはめて、面積とかだせるのだろう。このぉ。
これを読むと「単位」とかも誰かが決めているんだと、しみじみ思う。
では、どうやってそれらを決めていくか、どんな理由により、決めていくか。なんか、ここらで哲学の出番のような気がする。「ひとまず設定する」・・設定してからは数学の出番だけど、その前は哲学の出番だと。そんなことを考えているとある図が頭に浮かんだ。
いでよ!
芸術は別次元のものを創ること。虚構型。
哲学は本質型。数学は解明型。文学は芸術だから虚構であるけど、世界の解釈も含まれる・・ただその世界の解釈さえも含んだ虚構ともいえるような。
と、考えていると上の図になりました。
素直にありのままに書くというルールで自分のブログを書くんだけど、最近の自分の文章あじけねえと思うことが多々ある。数学や科学が気になるお年頃になってしまったからだ。純文学も数学と比べてしまうと(比べるものじゃないけど・・)、どこかエンターテイメントに思えてしまう。ある意味で、道楽的、怠惰的、なんとでも言ってしまえる面白さと怖さの共存。それは心をくすぐるけど。
ただ、より本質に近いのは数学とかだと思ってしまう。本質に近いというか、「この世界はどうなっているんだ」という問いに近づけそうな期待感。
はて、好奇心と踊り明かす。
Bar EARで店番を担当することになりました。そして、auly mosquito 音のロゴが完成しました。
Bar EARで店番を担当
1ヶ月前くらいに渋谷区にあるBar EARに行って、「すごく素敵なコミュニティだ!!」と興奮した記事を書きました。そこからも何度か行かせてもらいました。やはり素敵なコミュニティで人との繋がりと音楽の素晴らしさを改めて、感じさせてもらえるような。
そして、Bar EARで月に一回、店番を担当させてもらえることになりました。(パチパチ)良い音楽が流れてくる場所で過ごせる幸せよ。担当は第一土曜日になりました。チャージフリーで良い音楽にお酒という「楽しさ」の定石みたいなイベントを企画しようかと考え中でございます\(^-^ )
店主の尾崎友直さんには出会って間もないというのに、様々なお話をしていただいた。
心にとても伝わる音楽をしていて、どんな方なのかすごく気になってbar EARに行ってみたのが始まりだ。
音のロゴが完成
auly mosquitoの音のロゴ的なやつを作りました。
ロゴはほりぐーさん、ビートボックスは先生が担当してくれております。映画の前とかMVとかの前に入れるタイプのやつという考えです。先生のビートボックスのスキルの高さのおかげでうまくいきました\(^-^ お気に入りです。
むう。制作意欲が刺激されます。最近、我がボイトレの先生と怠惰先生が歌うことにおける「丹田」の大切さを教えてくれた。生かそう。
最近、地面から色々と芽を出してきた感がある。楽しみ、楽しみ\(^-^ )
気張らずに気楽に前向きに名に恥じず作品を創ろうと。(マスクするといい感じに見える法則を駆使!)
auly mosquitoとはなんぞやと、という人は・・下記をご覧ください。
「auly mosquito」の歩み
1.「ちぶかが」発足
2.「ちぶかが」盆栽村にいく
3.「ちぶかが」 メンバー増殖
4.「ちぶかが」シンポジウム開催
4.「ちぶかが」BBQ前半戦
5.「ちぶかが」BBQ後半戦
6.「ちぶかが」会議
7.「ちぶかが」ミニ演奏会
8.「ちぶかが使節団」静岡へ
9.「ちぶかが」初イベント打つぞ!
10.山に「ミュージックビデオ撮影」に行ったの巻!
11.ちぶかが初イベント無事に終える!
12.ケンシロウを乳房に巻き込む!
13.まおにゃんがPV撮影を請け負ってくれた!
14.お米イベント開催でごわす!
15.堀ぐっちゃん初のMV「山頭歌」発表!
16.豊作祭のお礼と改名騒動!
大人になった僕は気になる観点が変わってきた。
気になる観点が変わってきた
11月、もういくつ寝ると、お正月。
一番安心できる季節がやってきた。しばらく地元にも帰ってないし、久しぶりに家族や友達の顔を見れるとなるとホクホクしますね。東京で生活していることが沁みる時期です。
損得などなく腐れ縁は腐れ縁。腐っても縁。
日常を刻めばきざむほど、相対的に経験はつもり、1の時の流れが0.5とか減少していく。おとなやこどもという区別は言葉の認識上だけど、そういう意味では、毎日を噛み締めにくくなっているのかなと。ただ、幼き頃は「噛み締める」という行為を知らなんだ。
昔、母親が年をとるとシンプルに記憶力が衰えると言っていた。だから言語を習得するなら若い方がいいと。半分賛成で半分反対だ。確かに、記憶しようとするとまっすぐ覚えられない。記憶力が落ちたというより、経験とかで頭に情報が蓄積されているがため、記憶する部分までの経路が複雑になっていて、たどり着かないという感覚。
最近、気になる観点が顕著に変わってきた。思考を深めたがりだけど、自然と変わってきた。言葉の機微や曖昧性より「概念」そのもの。
そもそも、それは何か。世の中、仮定されたものばかりではないかと。道具として都合がいいから仮定されるのか。なぜ、仮定されるのか。もちろん、ひとつは人が生きやすいように、生存本能から仮定するとは思います。
あとやっぱり、「数」が何より気になる。
掛け算とはどういうことなんだ。分配法則やなんとか法則がなんたらかんたらとは、読んだけどなんなんだ。マイナスは引くことを足すことな訳なのかよ!
いつもとは逆から見ると、世界は違う。地面が宙に浮いていてもおかしくない。