「わっしょい、わっしょい!!」 ハレとケを感じ取った休日。
柳田國男さんの本はあまり読んだことないですが、今日ほど「ハレとケ」を感じた日はございません。住んでいる町で祭りがやってました。蒸しむしとした中で焼き鳥を焼くおっちゃん、普段はフィリピンパブで働いているお姉さまがかき氷を作っていたり、街全体が暖かい。電信柱の間には提灯が飾られ、夏を彩る。
少し遠くから聞こえて来る子供たちの「わっしょい」。近所のファミリーマートにたまりまくる自転車、座り込んでいる青年。懐かしむ気持ちといい空間という気持ちが合わさりました。
「地」を感じられる「お祭り」っていいですね。血縁ではなくとも地縁の関係を感じられた。コミュニティ全体で盛り上げる感じがたまらなく好きです。
「お金」を基調とした価値観では決して見出せないというか。匂いがいい。祭りの匂いが。普段はそんなに人が歩いていない町に人が賑わう、まさに「ハレとケ」の「ケ」をこなしてきたからだなと。日常的な労働を癒す時間、「ケ」があっての「ハレ」ですね。
浴衣姿でうろうろするお姉さん、法被をきて日に焼けながら大声をあげる少年たち。私、活気付きます。細かいことはどうでもよくなるというか、「にんげん生きている」といった感じです。
祭りじゃ、祭りじゃ。であえーであえー(´Д` )
いやあ、夏を感ずる。しんしんとした静謐に蝉時雨。ココナッツと常夏。あと、カシューナッツ。
夏の夜もいいんですね。先ほど一瞬雨がざっと降って、雷が鳴り倒した。そのあとに涼しくなった夏を散歩。夜風が肌になじむ。季節の心地よさ。風流。
夏はいい。
優しさこみ上げるMAGENTA RODEOのワンマンの撮影に行ってきたよ!!
先週の日曜日は、MAGENTA RODEOっちのワンマンライブに行ってまいりました。
キャメラマンとして行ったので、レンズ越しにMAGENTA RODEOっちを見つめてきました。
楽屋の中からMAGENTA RODEO(以下、ロデオっち)の様子を見ていました。
ワンマンとか絶対緊張すると思う。この日のために、かなり動いていたんだろうなというのも、なんかひしひしと伝わってきた。そんな緊張も顧みず、楽屋裏でも優しく気を使ってくれた。基本的に天然気味のロデオっちですが、スイッチ入ると違いました。
完全なるアーティストでした。前から勝手に思ってたけどメロディが秀逸。
「ライオンとピエロ」やら「いつもいつもいつも思っています」やら、普段のおっとりした感じからは想像もつかないほどのジャックナイフ。
鬱積した感情を晴らすかのような清々しさにどうしても優しさがまどろむ。切れ味鋭いはずのナイフが心に到達すると気持ちに変わる。
キーボードとのコラボも良かった。キーボードの方も楽屋とステージのイメージの違いがえぐかった。
楽屋でご挨拶させていただいた時は、「おっとりの限界を超えている!!」と内心思っていましたが、ステージにでるとあらま。。
めちゃかっこいいやん。クール。ナイスすぎるスペシャルゲスト。
そして、MCとなると指毛のことを気にしたりするところがロデオっちらしくて、素敵。
MCで「昔から自分に自信を持てなかった」とロデオっちは発言していた。その日々は明らかに唄に昇華されていると思った。いつも自分のことではなく、周囲を優先して気遣ってくれる優しさ。その優しさが集結したなんともロデオっちらしいライブでした。決して斜に構えずに人と取っ組み合う感じというか、人として、、グッドです。
いい日に呼んでくれてありがとう。
今日、、、初めてロデオっちと呼びました。完
動画の吸引力に人は惹きつけられる!? 批判や讃称の対象がことの始まり。
動画コンテンツ最強説
視覚の吸引力はとてつもないものだ。
Youtuberという職業もできて個人で動画メディアを持てる時代だ。いつも文字を起こし、文字で伝えているけど、やはり動画の方がわかりやすい。気がつけばテレビをだらだら見ているのも、動画の吸引力を示す。
ブランディングを考えるとき(特に個人?)、動画は必然となってくるように思う。何がなんでも出せばいいというものでもないけど、むむ、人を惹きつけるのだなと。
映像とかに凝ると別かもしれないが、カメラさえあれば動画を撮れるわけだし、Instagramをみんなが始めるわけだし、やっぱり動画ってすごい。
木曜日、ふつふつと「動画ってすごい」と考えていた。そうなると、やはり不特定多数に対して発信できるネットワークはものすごい。至極当たり前だけど、その人との距離を超えるもの。
そしてi phone、「画面のボタンを押すと、曲が流れてくる」とかもう大革命。そして、「便利」との付き合い方は難しい。
人間の欲求を満たすがために生まれしものに、素直に踊るのか。答えはここにあらずと自動化していく世界にビンタをかますのか。すこぶる判断が難しい状況です。
流れに身を任すのも有りかと思われます。どんどんと機械に吸い込まれ、積み上げています。使役の関係性がわからなくなってくる。もしかして、わからなくてもいいのか。AIも一つの人類とみなすのか。
ちなみに、パソコンの画面が一瞬真っ黒になったときの絶望感は、ドラクエのデータが全部消えたときと似ていた。積み上げてきたものが瞬時に壊される。機械の中に積み上げているというのも、なかなかのカルマですね。バックアップ絶対主義です。
「動画すごい」というところから、なんか話が多岐に渡ってきましたが動画すごいと思うわけです。YouTubeとか昔の映像が見れたりして楽しい。こんなん最高です。
顔を覚えてもらうというのは、人間生活、大切です。
印象を残す。うまくいかないと、ほうぼうの体で退散することとなる。そして、復活する。批判や讃称の対象がことの始まりなのかも。始まりがなければ、道はなく終わりが来ない。最期をどう迎えるかと考えるほどロマンチストではなくとも、始まっていたい。