日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

動画の吸引力に人は惹きつけられる!? 批判や讃称の対象がことの始まり。

動画コンテンツ最強説

 

視覚の吸引力はとてつもないものだ。

Youtuberという職業もできて個人で動画メディアを持てる時代だ。いつも文字を起こし、文字で伝えているけど、やはり動画の方がわかりやすい。気がつけばテレビをだらだら見ているのも、動画の吸引力を示す。

 

ブランディングを考えるとき(特に個人?)、動画は必然となってくるように思う。何がなんでも出せばいいというものでもないけど、むむ、人を惹きつけるのだなと。

映像とかに凝ると別かもしれないが、カメラさえあれば動画を撮れるわけだし、Instagramをみんなが始めるわけだし、やっぱり動画ってすごい。

 

木曜日、ふつふつと「動画ってすごい」と考えていた。そうなると、やはり不特定多数に対して発信できるネットワークはものすごい。至極当たり前だけど、その人との距離を超えるもの。

f:id:sasaworks1990:20170714005250j:plain

 

そしてi phone、「画面のボタンを押すと、曲が流れてくる」とかもう大革命。そして、「便利」との付き合い方は難しい。

 

人間の欲求を満たすがために生まれしものに、素直に踊るのか。答えはここにあらずと自動化していく世界にビンタをかますのか。すこぶる判断が難しい状況です。

流れに身を任すのも有りかと思われます。どんどんと機械に吸い込まれ、積み上げています。使役の関係性がわからなくなってくる。もしかして、わからなくてもいいのか。AIも一つの人類とみなすのか。

 

ちなみに、パソコンの画面が一瞬真っ黒になったときの絶望感は、ドラクエのデータが全部消えたときと似ていた。積み上げてきたものが瞬時に壊される。機械の中に積み上げているというのも、なかなかのカルマですね。バックアップ絶対主義です。

f:id:sasaworks1990:20170714005717j:plain

 

 

「動画すごい」というところから、なんか話が多岐に渡ってきましたが動画すごいと思うわけです。YouTubeとか昔の映像が見れたりして楽しい。こんなん最高です。

 

顔を覚えてもらうというのは、人間生活、大切です。

印象を残す。うまくいかないと、ほうぼうの体で退散することとなる。そして、復活する。批判や讃称の対象がことの始まりなのかも。始まりがなければ、道はなく終わりが来ない。最期をどう迎えるかと考えるほどロマンチストではなくとも、始まっていたい。

いくら通り過ぎても、等間隔の外灯は夜を白白と写す。

深淵な夜に

 

美しく化けるのか。ありのままの毎日を綴るのか。

淀みなく出てくる言葉。主従にどのくらいの美しさが埋没したのだろうか。

私は泣いた。私は笑った。シンプルな文章の力強さ。装飾は至る所で誤解を生む。また、近寄りがたくもある。

 

ひとつの地点からの懊悩もそれを覆った視点からは枯れている。その二つを見比べても湧き上がらない情感。そこには秘密がない。だけど、主軸もない。そこはかとなく解放された黄色は暖かい。平凡な日はメロウ。風琴を単音で鳴らせば、儚くとも上下に揺れる。

 

等間隔の外灯は夜を白白と写す。細分化し、組み合わせ瞬く間に散っては消える。言葉とはそのようなもの。選択の数だけの才能。アスファルトに無作為に行き交う足。その中心点を見つめる目。幻聴と汽笛が誰を呼ぶ。瞬時のフラッシュバックも、あくまで直感的。引っ掻いては通り過ぎる。物語が円く囲う。平坦な道すがらの草花を摘む。夏は終わり、次へと流転する。

 

何処から噺をしようか。人は光るものへと吸い込まれる。そして、穂の先に綴じられ、叩かれる。最後に振り返ろうと嘆願する。生活は辟易の連続。ゆえに、鬱勃した言霊は霹靂だ。感覚の工作がいつも自我を模る。

f:id:sasaworks1990:20170713010629p:plain

 

 

10年ぶりくらいに会った友達の話。前を見ている人と話す時間はいい時間。

ひさしぶりの友達にあった話

 

些細なボケのつもりのやつがスルーされたら、「なんでこの人こんなんゆうんやろ」と思われていると些細なボケをした側は感じてしまうものです。

その真相は誰も知らない奥底に、自分さえもなかったことにするほどに埋め込まれます。

  

週末を刺激的に過ごしていると、ブログの更新を怠っていた。刺激を受けた週末にこそ、書き綴らなければならないのに。怠惰。

 

金曜日はひさしぶりに土井ちゃんとゲンとみなみちゃんに会った。

ゲンとかみなみちゃんは10年ぶりぐらいになるのかな。

ただ飲みに行くだけなのに、会う前の妙な高ぶりと緊張感。大人になっている部分もそのままの部分もたくさんあった。みなみちゃんとか呼んじゃっているけど、高校の時にほぼ話したことがないように思う。

 

すところどっこい、すごくチャーミングで素敵な方でした。大人になってからでも全然、仲良くなれるのね。たわいもない話やら、熱い話やら、お釈迦モードやら、転職やら、ニューヨークやら、恋愛やら、仕事やら、色々話した。

 

みんな目ん玉が前についている。未来を考えている人と話すと清々しい。いいことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもない。月並みな言葉がぞくぞくと浮かぶ。

よく言われる言葉は、よく言われるから残っていく。ダーウィンの進化論的な・・。

 

もっと大人になれば違うお酒の味になるのでしょうが、今は今の味を噛み締めていく。過ぎ去ったものは未来への投資で、ぼんやりと灯る場所に連れていかれる。

 

東京の街も悪くないなあと。なかなかに感慨ぶかい1日になりましたとさ(´Д` )b

 

そして、昔を懐かしんでいると、成人式の写真を発見。ゲッツをしているのでしょうか。(恥) このころは何を考えていたのでしょうか。今となっては知る由もありません。そして、眉毛ほそっ!!!

 

f:id:sasaworks1990:20170713090523j:plain