「ビリーズブートキャンプに入隊だ!!!」 そして、カルマとともに歩む
ビリーズブートキャンプに入隊
「やい、ストマックの調子を整えたい。ストマックだ!ストマック!」
最近、顔色悪い説が巷で流れていたので、体を鍛えるぞ!と決意しました。
外に出ると雨でした。
すぐに家に帰り、ビリーズブートキャンプを始めました。
通信販売感とアメリカ感が見事に融合しており楽しくできました。
自らの体の硬さには驚愕していますが、持ち前の気前と勇気でそこはかとなく乗り越えました。
ビリーズブートキャンプでは、ビリーを中心にマッスル美人お姉さんが一緒にエクササイズをしています。なんとマッスル美人お姉さんだけではなく、普通のおばさまも参加しているのです。あのおばさまも頑張っているなら俺もやれるはず。
その熱い思いが身体を動かします。
「one,two,three・・」とビリーの掛け声は続きます。
「ビリーみたいになりたい」フローリングに足をつけ、その一心で最後まで踏ん張りました。
「筋肉、パンパンや」うん、リングに稲妻走ります。
そして、お腹が空いたので、カップ麺を食べようかと思いました。
しかし、「ビリー隊長を裏切れない」とカップ麺の前でゴクリと喉を鳴らし、自分の部屋に戻りました。パッと外をみると雨が止んでいました。カップラーメンを食べました。
ちなみにこの動画、死ぬほど面白いです。笑
カルマとともに
罪悪感は芸術を生むが、(主体的な意味において)経済を生まない。
今日は、そんなことを考えていました。罪悪感は積もるものであり、鬱積されていきます。
「鬱積は芸術に昇華できる」と私は思うわけでございます。
逆にビジネスマンというのは良い意味ですごくミーハーで、寛大な気がするんです。
滞らないから、スピードが速いと。これは生まれ持ったタイプということもあるから、何とも言えないですが。
自分は何が肌に合うのかと、いつも考えています。
なかなかね。一つの答えが見つからずカルマと過ごしています。背後には器用貧乏が待っていますが、興味あることが多く色々と捨てきれないんです。
最近はトヨタの本を読んでいて、これはこれで組織は大変なものだと。
カルマがどうとか、「個」がどうとか、「組織」は強大でそんな次元ではないのです。
大企業的な組織、それは日本の経済を解明する大きな事象ではないかと。
頭を巡らしまくっていると、様々な考えはどこかで繋がるはず。万物は流れるじゃないけど、行動と思考を駆使し人間生活です。
小さいことから大きいことまで、網羅できるように立派な人になりたいな。
ビリーズブートキャンプから日本の経済まで、毎日カルマとともに獅子奮迅です。
『端っこの父』 1000文字小説
今年は一番で乗り込んだつもりだった。
ただ、あの日の意味を遂に知ることなく終わりを迎えた。
「今年もそろそろいい季節になってくる。千佳、海にでも行こうか」
悪気のない父を嫌いになる人はいない。でも、私は父より魅力のある人をいっぱい知っている。それは、テレビの向こう側にだって存在する。
「まだ、寒いじゃんか。それより、ママに言われた通り洗濯物たたんだの?」
父は照れ笑いをしながら、風呂場へと向かった。「まったく、もう。本当ダメダメね」母に似て勝気な千佳は学校でも男子に恐れられていた。
ただ、そこには恐れだけではなく少しの尊敬も混じっていた。
父の背中はやはり、どこか頼りない。「何とかならないのかしら」千佳のぼやきはガラス越しに高級服を見ているおばさんみたいだ。
千佳は自分のためだけに取っておいたプリンを冷蔵庫から取り出した。
「おぅ、これこれ!」プリンを手に取る千佳の姿は立派に父に似ていた。
平凡な日々の背後には慈しみが迫っていた。千佳はぼやきながらも、けっして奢侈に流れることはない。彼女はその日、少し変わった夢を見た。
トンネルの真ん中にぽつんとたたずむ自分。
夢の中の自分は右に左ときょろきょろしている。そして、真っ暗なトンネルの天井を見つめた。首を上げた体勢のまま、夢の中の千佳は止まった。
半ば夢だと気づいた千佳の心に「私、何をしているのかしら」といった気持ちが生まれた。
朝、7時に目がさめた千佳は、父を起こしに行く。
「お父さんったら。いつまで寝てるの」
いつも通り父からの返事はない。千佳は不服そうにベットの脇に置いてある眼鏡に軽くデコピンを喰らわした。
よく見ると、父の寝ている体勢が奇妙である。仰向けのまま首は左にだらりと垂れ、右手の親指で瞼の近くを押している。指が少し顔にめり込んでいるその姿はけっして愉快ではなかった。
千佳は力を入れた親指を父の瞼の上にそっと置いた。
そこで、首を上げたままの千佳がフラッシュバックした。同時に「私、何をしているのかしら」といった気持ちもやってきた。
「ふぁあ〜、千佳、おはよう」父は寝ぼけながら眼鏡を探す。
千佳は寝癖たっぷりの父に妙な親近感を覚えたが、学校に遅刻しそうなことを思いだし慌てて父の部屋を出ようとした。
いつもより少し低い声で、彼女を呼び止めた。
「無防備を刺し殺すには無意識じゃ足りないよ。選手交代だよ」
父は首をぐるりと一周まわした。
日曜日は大月健三さんを見に行ったよ。 「大切に育てれば花は咲く」を実証したええライブでした。
西洋について書かれた本を読んでいると、誰がだれだかわからなくなってくる・・。
何世かどうかが脳内を惑わしにくる(´Д` )
ともかく、最近はやたらめったらパソコンに向かい合い、かじりついています。
そんな中でも希望をもてそうなお釈迦さんの言葉を発見しました。
2500年前ぐらいにお釈迦さんは「同じことを同じように繰り返して、情熱を持って毎日を過ごしていると悟る可能性がある」と言ったそう(´Д` )悟りすら情熱で開けるとは、もはや全て情熱です。
希望的観測にうごめいている心身は、それはそれとします。
我が身を振り返れば、箸にも棒にもかからない所からきたはずだ。
話題の転換期がやってきたので、日曜日のことについて話します。
ええライブの日
日曜日は今年一番、春を感じられた。
大月健三さんのライブに行って参りました。健三さんとのお付き合いはかれこれどれくらいになるのだろう。全然把握できていないけど、一年ぐらいかな。
二人でカフェに行ったことも、蕎麦を食ったこともあった。健三さんと二人になれば大概真面目な話になる気がする。笑
主張の応酬です。でも、話すと気づかされることのが多い。お互いの性質が引き出される感はあります。すごく聞き上手なので、僕の軽薄な発言も受け止めてくれます。
ライブの場所は代々木、週末のお酒の残り香を放ちながら向かいました。
お昼からのイベントだったので、すぐに始まりました。ビシッとしたスーツ姿で健三スタイルが決まっていました。
ブルースは労働の合間を縫って奏でられたといいますが、健三さんのも生活と音楽が密着している。労働あっての音楽、音楽あっての労働、音楽も労働、労働の先の音楽、ややこしくなってきましたが、、、、音色がどうとかではなく、ブルースが内蔵されているんだ。
そして、今まで何度か見させていただいたライブの中でダントツに最高だった。そもそもが底上げされたというか、毎日、大切に水と肥料をやると花は咲くのだなと。
これは「この日の調子がよかった」ではない。誰の目にも明らかなほど進化だ。
独断的に好みをいうと、「見事にジャンルを駆使しているけど、決して消化されていないアーティスト」が好きなんです。健三さんは完全に当てはまるんです。
日曜日はですね、「ええライブが見れた」の一言に尽きるんですd(´Д` )つ
それを糧に今週も頑張る。でも、、もう、ジュピター!!(*_*)!